2022きママな日記346

今日は歩こう会の例会があります。シリーズもので第3回目、韮崎駅から県立御勅使南公園までの11キロ。ゴールが公園なので県立御勅使南公園から韮崎駅まで歩くとなればトータル15キロになってしまう。今私が自信を持って歩ける距離は10キロ強かな?公園から駅までのバスもあるが一時間に一本と少ないらしい。15キロは厳しいかも知れないと参加を悩んでいたら担当者が駅まで送迎をしてくれるとの事。それならと参加を決めたら主人がお迎えに来てくれたんです。何時もありがとう。感謝です。参加した例会はスマホのGPSをセットするので地図を主人が作ってくれます。それなのにセットを韮崎駅でし忘れてしまい、願成寺でセットしたのでキロ数が正確ではないかも知れません。願成寺~県立御勅使南公園までの地図を主人が作ってくれました。

コース:韮崎駅 → 願成寺 → 韮崎大村美術館・大村先生の生家 → 大公寺(昼食) → 御勅使川暗渠 → 県立御勅使南公園 11キロ[コースマップ(途中から)]


歩き出しは韮崎駅になります。みんなが揃ったので集合写真をパチリ!


お天気が良かったので富士山が綺麗に見えましたよ、お昼は大公寺のお庭を借りて頂きました。


仲良し仲間の風路さんと一緒に!


今日は50年前に徳島堰に関わった方が参加して下ったのです。
そして御勅使川暗渠 で説明をして下さったのです。


今回もカメラ係をかって出て下さったKさんに沢山素敵な写真を撮って頂きました。
スナップ写真を入れたブログ報告12.13に載せましたのでご覧下さい。

2022.12.12(晴れ時々曇り)月曜日

2022きママな日記345

自宅療養中!

朝晩寒い毎日ですが日中は暖かくて有り難いですね、断捨離が少しづつ進んでいます。
部屋全体に荷物を広げながら捨てるもの、残しておきたい物を区分けしていく。
これが結構大変な作業なんですよ、思い出有る品を処分するのって辛いです。
これをやらないと先に進みませんから頑張ってます。
疲れて休憩、滅多に甘いものを食べたいと思わない私が「お汁粉を食べたいなぁ~」と思った。
早速、準備しお餅を焼いて頂きました。こんがりお餅に焼き目が付いて美味しそう。
「う、うまーい!」体が喜んでいる。(御免なさい。写真、無し!)
何故って、撮影する前に食べてしまったからです。

2022.12.11(曇り時々晴れ)日曜日

2022きママな日記344

自宅療養中!

「よってけし八ヶ岳」に美味しそうなイチゴを売っていた。これからクリスマス時期まで販売しているそうです。沢山は置いていないので売り切れ御免!だそうです。早速購入!
これからショートケーキを作ろうと思う。まずはスポンジづくりから始めます。
スポンジが冷めたら3枚にカット、それぞれにシロップ、生クリームを塗り、最後にイチゴを飾れば完成です。


暫く冷蔵庫へ入れて生地を落ち着かせ、一切ずつカットして食べましょう。
最近、野菜は農協で買うことが多いです。リンゴは北杜市内の津金産を買ってきました。

2022.12.10(晴れ)土曜日

2022きママな日記343

自宅療養中!

父の話続編
以前にも話したが私は6人兄弟の末っ子。和菓子職人の父は自分の跡取りが欲しくて仕方なかったようです。でも思うようには行かないらしい。子供は授かったが、女、女、女、女、そしてやっと跡取りになる男が生まれた。もう大喜びだったそうです。もう一人男の子が欲しくて生まれたのが女でした。なんと私だったのです。父にしてみれば「ガッカリ!」だったらしい。それはないですよね~。(泣) まぁ~、待望の男の子なんだから仕方ないのかも知れませんが彼方此方と連れまわしていたとのこと。跡取り息子と何処へ行くにも一緒だったらしい。大好きな釣りも一緒に二人で行くし~、列車に乗って何処かへ行くとか、野球が好きな父はジャイアンツファンで東京の後楽園まで兄を連れて行くほどでした。私がダダをこねても駄目、何時も留守番をさせられた。一寸嫉妬を感じたが、どうする事も出来ません。(涙) 子供の私にその訳が分かる筈がありません。野球と言えば、父が巨人ファンを知っていて美味しいお酒を一緒に飲もうと勝った日は大騒ぎ!お酒のビンが並んだのは言うまでもありません。何時もは静かな父もこの日は大盛り上がり!ちゃっかり物の私、この時だけは、お小遣いをねだるチャンスでもありました。(笑) 甘いものは殆ど食べない父でしたが、お店の菓子パンが売れ残ってしまった時、「やけ食いだー」と言ってアンパンを11個ほどムシャムシャ食べた時には驚きました。気持ち悪くなったのでは?さぁ~、その後どうなったか私は覚えていません。(苦笑)

2022.12.10(晴れ)土曜日

2022きママな日記342

自宅療養中!

父の話 続編
この所、早朝に目が覚めてしまう。歳のせいかな?寒いから布団に入って暫くジッとして居ることもあるけれど今日はパッと起きられた。12月はせわしない。色々やらなくてはならないことばかりで頭が痛い。年末には毎年姉からお正月用のお餅が届く。有難く頂いてます。今では何時でもお餅を食べる事が出来るけれど、昔はお正月にしかお餅は食べられないものでした。お餅が大好きだった私、食いしん坊だからでしょうか?お正月は大好きでした。でも子供には待ち遠しいお正月でも商売をしている両親にとっては体を酷使する年末作業が待っていた。お正月前になるとお餅の注文がドーンと来て和菓子屋さんは大忙し!機械でなく手作りなので父と母は受けたお餅づくりに精を出していた。(きねうすの写真は下)もち米を蒸し、注文分だけお餅つきをしなくてはなりません。「父と母の掛け声が家中にこだまする。」「ハイよ、ヨイショ、ハイよ、コラショ!」お餅をこねる母、時々上下に餅をひっくり返す作業はドキドキしました。父の杵が上から落ちてきたら母の指はどうなるのかってね。杵を振り落とす父のタイミングと母の受け側のタイミングは見事でしたよ、「ア、ウンの呼吸!」っていうのでしょうか、一つ間違ったら大怪我です。それでも仕事している姿を見るのが好きでした。二人が大汗をかいて頑張っている姿に感動したのかも?親の背中を見て育つって言いますよね、私も親の跡取りをとも思った時期でした。その考えは何時の間にか消えてしまったけれどね。(苦笑)


力仕事で何うすも作らなくてはならない作業がいかに大変なことなのか、私たちが実際に作ることになったときに分かりました。私が主人と一緒になった家でも餅つきをすることになったのです。私は主人の祖父母、高校生だった妹と一緒に生活することになりました。母子家庭だった主人の母親は過労?からか43歳で亡くなっていた。主人は祖父の代わりにお餅つきをすることになったのです。親戚に送るお餅を主人と私の二人で10臼程お餅つきをした。祖父に私の手つきが良いと褒められたのは私の家で父と母の仕事を見ていたからかも知れませんね?母は合いの手を入れる人と言うそうです。餅つきをするときにはつきたてのお餅を板餅(いたもち)(下の写真)に入れて型通りに伸ばす作業は熱さとの戦いです。手に餅が付かないように粉を振って型通りに伸ばしていきます。これが結構大変!
餅つきの準備と手順、やり方などの説明 ←ここをクリック


もち米は主人の祖母が蒸してくれました。おばあさんって結構歳を取っていたんだろうか?計算してビックリ!何とその時の祖母の年齢は今の私と同じ位だったようです。大変な仕事を頑張って手伝ってくれたんですね、もち米の蒸し作業も大変な作業ですから感謝です。手伝ってくれて有り難かったです。もち米が蒸しあがったら臼まで運んで米粒を杵で最初はかるく潰していく。お米が少し柔らかくなったら杵でペッタン、ペッタン、突いていく。1枚完成するまで大変なんですよ、10臼分作るってクタクタになるほど大変な作業でした。終わるとヘロヘロでしたね。今では機械のお餅つき機が出回り、お餅メーカーが切り餅を年中販売するようになったので家庭で餅つきをすることが少なくなりました。お供え餅が固くなった後、鏡開きでそのお餅をご飯の中に入れて食べたことを思い出しました。小さくして油でカラッと揚げた「かき揚げ」も美味で大好きでした。余談ですが・・・滅多に私の我が儘を聴いてくれない父が「お前の好きなものを作ってやるから話してみろ!」と言ってくれたので「甘辛アラレが食べたい!」と注文したら、父から言われたことがあります。お餅を包丁で小さくサイコロ状にカットしてカラカラになるまで干しておくようにとの事。包丁でカットしたサイコロ状のお餅を布袋に入れて風通しのいい場所へ陰干し。何日干していたか覚えていないがカラカラになったサイコロ状のお餅を父はフライパンで乾煎りし砂糖醤油味?にして食べさせてくれた。それはそれは最高に幸せの味でした。美味しいという表現より「うま~い!」の一言。数少ない父との思い出です。

2022.12.08(晴れ)木曜日

2022きママな日記341

今日は八ヶ岳歩こう会の月例会(会員でなくても誰でも参加できる役員会)があります。午前中2時間ほどですが会員みんなが楽しんで参加できる例会を考えたい。10時には始まるので遅れないように家を出る予定。


何時もの会場で10時からスタート!議事進行は事務局長です。YWA会長の挨拶から始まり、心配なコロナの事や会員の為にいい企画があるとの話が出て2月に行われることになった。詳細はこれからの会報等で連絡があると思います。その後は前回月例会後に行われた例会報告、その後はこれから行われる例会の説明が担当者からありました。何時もと変わらない議事進行で12時前には終了。でも、暫く会っていなかった理事さんとも会えて嬉しかった。以前のように毎回例会に参加できない私ですが、気心知れた仲間と会える事はとても嬉しい。今年も残り少なくなってきたが健康に気を付けて過ごしていこうと思う。

2022.12.07(晴れ)水曜日

2022きママな日記340

自宅療養中!


今日は押し入れの整理整頓をすることにしました。随分長い事段ボールの中にしまったままのアルバムがあります。主人が写真すべてメディアに収めてくれました。押し入れを占領していたアルバムを処分することに。でも、その中の写真を眺めては懐かしさに浸っている私。これでは先に進まないので思い切って開いたアルバムを閉じて断捨離することに。


サッパリしたけれどチョッピリ寂しい私。押し入れの中は空っぽになりました。
綺麗になった押し入れ、ここには何が入ることになるのでしょう。

2022.12.06(曇り)火曜日

2022きママな日記339

自宅療養中!

今日は歩こう会の人たちはバスウォークを楽しんでいる事でしょう。私はまだ無理が出来ないので暫くはバスウォークを控えています。報告を楽しみにして自分の課題を片づけることに。

今日の朝もグーンと冷え込んで寒いです。そろそろ愛車のタイヤ交換をしなくてはと思い、予約を入れたのでこれからガソリンスタンドへ向かいます。

今日は歯の治療で午後韮崎まで出かけます。17年前に治療した歯のかぶせ物が壊れたから治すのにも時間が掛かるのかも知れませんね、今日で終わるのかしら?


残念ながら治療はまだ続くようです。1週間に一回だからね~、来週が最後かしら?
今日はとても寒いのでカレーうどんにしました。まだ固いものは食べてはいけないので歯に負担が少ないメニューにしました。体にも歯にも優しいお料理でしょう。体が温まりましたよ、自分に「ご馳走様でした。」

2022.12.05(曇り)月曜日

2022きママな日記338

自宅療養中!

12月に入り、グーンと寒くなりましたね。師走になると何故か忙しなくなる。


皆には温かな大盛りの味噌ラーメンを作り、食べてもらった。私は、やり残したことがあって遅く食べることになりそう。お腹がすいたらサッと頂くつもりで自分用のお握りを作っておいた。お腹が空いているときはこれがご馳走に感じる。空腹は最大の調味料!「ごちそうさま!」

2022.12.04(晴れ)日曜日

2022きママな日記337

自宅療養中!

父の話、続編
父の可笑しかったことを色々思い出してニヤニヤしています。


私が会社勤めをしているとき、社内がタバコの煙でモクモクしていても我慢するしかなかった。
今は煙草を吸う人が減りましたね、昔の男性は吸う人が多かったです。
タバコって吸った後、火を消す作業をするからタバコ本体は曲がったりしてグチャグチャになる。
上のイラスト灰皿をご覧下さい。2本有るタバコの上の状態(タバコが折れ曲がっている)
それが父の場合、吸い終わったタバコが真っすぐ状態で灰皿に捨ててある。吸い殻数本。。。
大きな灰皿ならそれなりに沢山吸い殻が並べてあった。みんな真っすぐの状態でした。
使い終わったマッチ、灰の塊が1センチほどの長さで数個同じ長さで捨ててある。
長さ、測ったみたい。灰皿に△トライアングル状態で並んでいたんです。
吸い終わったタバコの吸い殻は右端に。消されたマッチは左側に。灰は上か下にまとまっていた。
これを見た時に絶句、思わず笑ってしまった。
灰皿の中に吸い殻がきちんと並べてあるんです。
そんな灰皿を皆さん、見たことないでしょう?タバコの灰は爪ではがして捨てていたのかな?
几帳面?変人?家族みんなで大笑いしたことを思い出しました。

そうそう、父は役が好きでしたね、町内の役員や学校の役員、色々やっていましたよ。
多い時には小学校、中学校、高校のPTA役員をやっていたことも。
子供の授業参観は母ではなく父でしたね、私は母の方が良かったのに。
友達はみんな母親が授業参観に来ていましたので羨ましかったからです。
町内役員をしていたからでしょうか、旅行も好きでした。
父ばかり出掛けていたので子供たちから「いつも自分ばっかり出掛けてズルいよ、たまには母を温泉旅行に連れてってあげなよ!」って言ったことがあります。何時も留守番ばかりしている母を見て女房孝行を父に頼んだのです。でも、母が旅行から戻ると「ただいまー、疲れたぁ~、我が家が一番いい。」と言って笑うのです。母は自分の家が一番好きだったのかも知れませんね?
甘ちゃんの私は母が買い物へ出かける時、何処でもくっつき虫で母にベッタリ!
子供時代は喘息があって母には苦労させてしまった。
私、今では元気印ですが子供の頃は体が弱かったんです。
父の面白い話、何か思い出したら第三弾として書き記します。

2022.12.03(晴れ)土曜日

2022きママな日記336

自宅療養中!

私は甘いものをほとんど食べない。と言うか余り間食をしない人。3食しっかり食べるから間食しなくて済むのかも?以前にも話したと思いますが私の実家は和菓子屋さんだったのです。甘い匂いが家中していました。両親は徹夜仕事を良くしていた。働き者でしたね、でも無理がたたったのでしょう?父は若くして体を壊してしまった。私が中学生の時、脳梗塞で倒れて無理が出来なくなって和菓子作りをやめ、子供相手の駄菓子屋さんになった。私、お店には売り物のお菓子がいっぱいあったけれど甘いお菓子には興味なし。醤油味のお煎餅の方が好きでした。だから今でもお菓子は余り食べない。作る方が好きです。父も作るけれど甘いものは食べない人、辛党で日本酒が好きな人でした。でも私、無性に甘い和菓子が食べたくなることがあるんです。洋菓子より和菓子の方が食べたくなります。父の影響かな?田舎の和菓子屋さんでしたから機械ではなく全部手作りでした。大きな釜で大きな「しゃもじ」みたいな道具を使って餡子を練っていた姿が思い出されます。父の真似をして大きな釜の上に立ち、混ぜようとしたことがあります。最初は砂糖湯みたいな状態でしたから混ざられたのですが、材料が増えるにつれ重くなって混ぜることが出来なくなり、最後は父に助けてもらったことがありました。「お父さん、ヘルプ!」力仕事だったからでしょうね、痩せていたのに筋肉質で肩まで筋肉が盛り上がっていたかな?私が言うのも可笑しいですが父は腕のいい和菓子職人でした。懐かしい思い出です。父の事、凄いと思ったことがあります。見た目も美しい綺麗な和菓子ってありますよね、ヘラを使って色んな和菓子を作っていた。何種類の和菓子を作っていたんだろう?温泉饅頭って知っていますよね、父が作った「おまんじゅう」を割ると中央に餡子、周りの皮は薄く均等に仕上がっている。子供ながらに「上手だなぁ~」って思っていました。忙しい時には近くに住む叔母も手伝いに来ていました。母や叔母の作ったお饅頭を割ってみると父が作った「饅頭」とは違った。半分に割ると違いが分かりました。他の人が作った饅頭は皮の厚さが均等でなく父の腕の凄さが分かった。和菓子作りに必要な道具も色々ありましたね、金型、木型(鯛、鶴、亀、花、その他いろいろ)も沢山有りましたよ、残った材料で私も作らせてもらいました。怒られたこともあります。完成間近の羊羹が目の前にあったと思って下さい。固まってかと確かめていたら穴が戻らなくなって父が激怒、押し入れに閉じ込められた思い出があります。色んなことが思い出されます。今頃になって和菓子作りを教えて貰っておけば良かった思っています。もう今更遅いですが、今になって和菓子作りがしたくなっています。一番上の姉とは干支で言うと一回り違う。和菓子作りも上の姉たちは手伝わされていたので少し作れた。本人たちは嫌がっていたけれどね、厳しかったからでしょう。昔、姉達が話してくれたけれど厳格で怖い父だったそうです。私は末っ子だったので甘かったのでしょう?兄や私には結構甘かったみたいです。へへへ…ですね。間食をしないと言っておきながらウォーク途中で仲間から頂く飴やお菓子は食べてしまうのは何故でしょう?本当は食いしん坊なのかも?歩いて疲れた体が甘いものを要求しているのかもね、何時も美味しく頂いてます。「皆さん、ごちそうさま!」

今月はクリスマスがあります。孫が近くに住んでいたらクリスマスケーキを作ってあげたかも知れないですね。離れているので無理ですが山梨に来た時には食べさせてあげたいと思っています。でも、近くだったら娘に「虫歯になると怒られたかも?」近くなくて逆に良かったかもしれません。(苦笑)


今日はチョコレートケーキですよ、写真で申し訳ないですが気分だけ召し上がれ!

2022.12.02(晴れ)金曜日