2022きママな日記342

自宅療養中!

父の話 続編
この所、早朝に目が覚めてしまう。歳のせいかな?寒いから布団に入って暫くジッとして居ることもあるけれど今日はパッと起きられた。12月はせわしない。色々やらなくてはならないことばかりで頭が痛い。年末には毎年姉からお正月用のお餅が届く。有難く頂いてます。今では何時でもお餅を食べる事が出来るけれど、昔はお正月にしかお餅は食べられないものでした。お餅が大好きだった私、食いしん坊だからでしょうか?お正月は大好きでした。でも子供には待ち遠しいお正月でも商売をしている両親にとっては体を酷使する年末作業が待っていた。お正月前になるとお餅の注文がドーンと来て和菓子屋さんは大忙し!機械でなく手作りなので父と母は受けたお餅づくりに精を出していた。(きねうすの写真は下)もち米を蒸し、注文分だけお餅つきをしなくてはなりません。「父と母の掛け声が家中にこだまする。」「ハイよ、ヨイショ、ハイよ、コラショ!」お餅をこねる母、時々上下に餅をひっくり返す作業はドキドキしました。父の杵が上から落ちてきたら母の指はどうなるのかってね。杵を振り落とす父のタイミングと母の受け側のタイミングは見事でしたよ、「ア、ウンの呼吸!」っていうのでしょうか、一つ間違ったら大怪我です。それでも仕事している姿を見るのが好きでした。二人が大汗をかいて頑張っている姿に感動したのかも?親の背中を見て育つって言いますよね、私も親の跡取りをとも思った時期でした。その考えは何時の間にか消えてしまったけれどね。(苦笑)


力仕事で何うすも作らなくてはならない作業がいかに大変なことなのか、私たちが実際に作ることになったときに分かりました。私が主人と一緒になった家でも餅つきをすることになったのです。私は主人の祖父母、高校生だった妹と一緒に生活することになりました。母子家庭だった主人の母親は過労?からか43歳で亡くなっていた。主人は祖父の代わりにお餅つきをすることになったのです。親戚に送るお餅を主人と私の二人で10臼程お餅つきをした。祖父に私の手つきが良いと褒められたのは私の家で父と母の仕事を見ていたからかも知れませんね?母は合いの手を入れる人と言うそうです。餅つきをするときにはつきたてのお餅を板餅(いたもち)(下の写真)に入れて型通りに伸ばす作業は熱さとの戦いです。手に餅が付かないように粉を振って型通りに伸ばしていきます。これが結構大変!
餅つきの準備と手順、やり方などの説明 ←ここをクリック


もち米は主人の祖母が蒸してくれました。おばあさんって結構歳を取っていたんだろうか?計算してビックリ!何とその時の祖母の年齢は今の私と同じ位だったようです。大変な仕事を頑張って手伝ってくれたんですね、もち米の蒸し作業も大変な作業ですから感謝です。手伝ってくれて有り難かったです。もち米が蒸しあがったら臼まで運んで米粒を杵で最初はかるく潰していく。お米が少し柔らかくなったら杵でペッタン、ペッタン、突いていく。1枚完成するまで大変なんですよ、10臼分作るってクタクタになるほど大変な作業でした。終わるとヘロヘロでしたね。今では機械のお餅つき機が出回り、お餅メーカーが切り餅を年中販売するようになったので家庭で餅つきをすることが少なくなりました。お供え餅が固くなった後、鏡開きでそのお餅をご飯の中に入れて食べたことを思い出しました。小さくして油でカラッと揚げた「かき揚げ」も美味で大好きでした。余談ですが・・・滅多に私の我が儘を聴いてくれない父が「お前の好きなものを作ってやるから話してみろ!」と言ってくれたので「甘辛アラレが食べたい!」と注文したら、父から言われたことがあります。お餅を包丁で小さくサイコロ状にカットしてカラカラになるまで干しておくようにとの事。包丁でカットしたサイコロ状のお餅を布袋に入れて風通しのいい場所へ陰干し。何日干していたか覚えていないがカラカラになったサイコロ状のお餅を父はフライパンで乾煎りし砂糖醤油味?にして食べさせてくれた。それはそれは最高に幸せの味でした。美味しいという表現より「うま~い!」の一言。数少ない父との思い出です。

2022.12.08(晴れ)木曜日

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