024きママな日記316

放射冷却で太陽が照っているのに寒い、もうストーブが無いとリビングには居られないですね。それなのに日中は、夏日になるんですって?でも夏日になる地域、ここ北杜市ではないと思いますが???それにしても11月半ばに夏日があるなんておかしいですよね。今日の予定ですが、男性二人は午前中に床屋さんへ行くと言って出かけて行きました。午後は私、歯医者さんの日なので韮崎まで出掛けます。愛車はフル出動、頑張って働いてくれています。今、主人がケガをして車で出掛ける事が出来ません。私か息子が運転して病院へ出掛けて居ます。3人で一人前かも知れません。3人で助け合って生活しています。私も助けたり助けられたり仲良くやっています。感謝を込めて息子や主人の好きなケーキを作ろうかな?本日、時間が無ければ明日にでも作ろうと思っています。そうそう、お隣さんから頂いた「掘ったばかりのサツマイモ」とペンション仲間から頂いた「栗の甘煮」で「きんとん」を仕上げようと思っています。サツマイモを蒸してそれを専用の甑(こしき)で舌触り良く仕上げます。そして頂いた栗の甘煮を混ぜたら完成かな?上手に出来るか不安だけど出来上がったら味見してみましょう。不味いかな?最近、無性に和菓子を作りたくなるんです。父が和菓子を作ってお店で売っていたので後ろ姿だけは見ていたのですが、子供だったので和菓子作りを教えて貰ったことはない。でも、余った材料を貰って父のまねごとをしたことは覚えています。残念ながら父は私が中学2年生の時に病気で倒れてしまったので正しく教えて貰ったことはないのです。一番上の姉は私と一回り違うので父から教えて貰ったと聞いてます。私が長女だったら人生も変わっていたかも知れません。もし和菓子屋の跡を取っていたなら今どうしているかしら?父が倒れなかったら姉が跡取りしていたかも知れませんね?それとも二つ上の兄が跡継ぎになっていたか?私は6人姉妹だから誰が跡を取っても可笑しくない。人生の分かれ道、何処でどうなるか分かりませんね。父の後は誰も継がず、お店の半分を改装して次女のお婿さんが中華を始めたんです。半分のお店はお菓子を売るお店として残しておきました。製造販売は止めたんです。その内、中華のお店が繁盛してお菓子屋さんだった場所はリフォーム工事して中華食堂に。私も看板娘として手伝いましたよ。でも、中華食堂の跡取りになりたいとは思いませんでした。それからも山あり、谷あり、転ぶこともありました。人生って色んなことが起こります。母が55歳で倒れ、私は会社を辞めて20歳の時にリハビリ病院で付き添いです。家政婦さんをお願いすることはせず、姉達から言われたのは「私たちは子供が小さいし、看病で病院へ泊まり込み、母を見る事が出来ない。独り身で身軽なのは兄と私の二人だけ、寝たきりの状態で診てあげられるのは貴方(私)しか居ないのよ、母の事を面倒見てね。」姉達には色々とお世話になっているし、従うしかありませんでした。最初は寝たきり状態で入院、その後は赤ちゃんと同じで立ち上がる訓練から始まって杖で歩き、左手でご飯も自分で食べられるよになりました。時々泣き言を言ってましたが頑張っていましたよ。自分で何でも出来るようになるまで時間はかかりましたが、本当にリハビリ頑張りました。私は母のベットの下で1年半寝泊まりして看護、自立出来たのでお役御免に。病院から解放され、姉からはお店に残って仕事を手伝って欲しいと言われたが自分の人生を考えて私も自立することにしたのです。別の兄が東京で働いていたので仕事を紹介して貰い会社勤めスタート!その後ですか?話が長くなるのでこの先の話は別の機会にしましょう。つい昔話をしてしまいました。適当に聞き流して下さい。(笑)


私が急にチジミが食べたくなって作る事にしたのですが、息子は好きではないのでピザにしました。
オーブンで焼き、出来上がり。ミニトマトとバジルは我が家のものです。

2024.11.12(晴れ)火曜日