甲斐七福神めぐりウォーク、大黒天・布袋尊編

今日のコ-スは「わが町再発見シリ-ズ」の「長坂町編第2回」でもあり、「甲斐七福神めぐり」の第4回、「大黒天・布袋尊編」、でもあります。
様々なテ-マを持ってウオ-キングすることは大脳にちょっぴり知的刺激も加えられ、日頃使っていない脳の筋肉(?)の運動ともなって、まさに全身運動であるウオ-キングの効果倍増です。


今回は趣を変えて、八ヶ岳歩こう会事務局の多賀さん(P.ペアハットのオーナー)にコメントをお願いしました。

さあ~、それではいつものように準備体操をして・・・


今日もウォーク日和です。
清里や小淵沢は良く歩きますが、長坂町を歩くのは初めての体験です。
駅から民家の中を通り清光寺に向かいます。


清光寺のかなり急な階段を上ります。
「ここから落ちたら怖いなぁ~」
「一歩一歩気をつけてっと!」
「上の人が転けたら一緒に転けちゃう~!」
「そうなったらイヤだわ。」ブツブツ・・・。


本堂の中に入りました。
「こんにちわ~、誰かいませんか~?」
「・・・・・・・し~~~ん・・・・・・」


清光寺に付いてのお話を聞く会員の皆さん

今日は歩くというよりも長坂町のお寺や神社巡りです。
ここも立派なお寺ですよ!
皆さんもお時間があったら行かれてみては・・・。


布袋尊を祭る清光寺は甲斐源氏の祖・新羅三郎義光が孫「逸見(へみ)玄源太清光」によって1151年創建されました。
樹齢250年ほどのしだれ桜があり、春はお花見で賑わいますが境内で異彩を放つのは「芥川龍之介」の句碑。
「藤の花 軒端の苔の老いにけり」と刻まれています。郷土の誇る教育者「堀内柳南」が開いた「高原夏期大学」の講師として龍之介が呼ばれた時の句です。
堀内柳南の長男がこの時の思い出を記録しています。
「教育会主催の歓迎会に出席するために、清光寺の本堂の横を通ろうとしたところ、大人のこぶし大のガマガエルが5,6匹待ち構えるようにして山道にいた。それを見た龍之介は大きな叫び声を上げて、その場に立ちすくんでしまい、なかなか前に進もうとしない。その時の龍之介の様子が強烈な印象として残っている」
今から約80年ほど前のことでした。


八幡大神社のご神木があんまり立派なもので、どのくらい太いかを計ることにしました。男性4人に手をつないで貰いました。
樹齢何百年になるのでしょうか?
人間ががんばっても100年ちょっと!
ケヤキの木は長生きです。


次のお寺まで木漏れ日の中を歩きます。
でもこの道もまもなくアスファルトになるみたいです。散歩道がどんどん無くなってしまうのは悲しいことです。車社会とはいえ自然はすぐに造れません。
何とか成らないものでしょうか?


散歩道を出たところに道標がありました。
刻まれている字を見ると、諏訪の文字が・・。
車のない頃はこの案内を見て諏訪まで歩いて行かれたんでしょうか?健脚ですね。車は便利ですが、なるべく歩きましょう。
此の道標の右側にお地蔵様が並んでいました。


その、お地蔵様です。
写真ではお顔がよく見えないと思いますが何とも言えない優しいお顔なんです。(小さなお地蔵様)
車では曲がり角なのでアッという間に通り過ぎてしまうところです。皆さんも何時か歩いて行って見てね!


他のお地蔵様と、お顔が少し違う様な気がします。
一寸、皆さん!良く見て下さい、このお地蔵様は何か語り始めましたよ。
「・・・・・・・・」「・・・・・・・・」「・・・・・・・」
かっこの中に言葉が浮かびますか?
お話しをしてみて下さい。


妙林寺に向かいます。
畑の中の参道を入ると・・・。


綺麗なバラが咲いていましたので足を止めました、思わずシャッターを!
何ともいえない色ですね。


この中には山梨県指定有形文化財「木造薬師如来座像」が納められている。この像は(坐高0.84メートル)その頃の本尊と見られている。


大黒天を祭る妙林寺は甲斐七福神を祭る寺院の中で最も古く、創建は720年。天台宗を改め曹洞宗として今に至る。
お寺の来歴を調べるとどのお寺も必ず途中で宗旨を改めているようですが、どうしてでしょう?復興や再建の為に招いた和尚の宗旨によってころころ変わるのはいいとしても、その都度檀家の皆様も宗旨を変えていたのでしょか?
つまりは、日本人は昔からあんまり宗教に関心がなかったのでしょうね。


「蝉鳴いて 幼なき頃の 八ヶ岳」

妙林寺でお昼に致しました。
お弁当を食べていましたら、お寺の方が戻られ、少しお話しをしました。
妙林寺を後にして次の所まで歩きます。
まだ少し紅葉が残っていましたから、景色も楽しみながらの散歩道です。ここも後少ししたらアスファルトです。


林を抜けると見晴らしの良い道に出ました。八ヶ岳がとても綺麗で歩くのが気持ちいい。
その八ヶ岳に向かって歩きます。
次は妙要寺に参ります。


妙要寺には1本の百日紅(さるすべり)の木があります、三代目だそうです。八十八夜から数えて百日目に花が咲くのでその名がついたといわれます。
稲の花は八十八夜から百十日めに咲くそうですが、一足早く咲く百日紅の花で稲作の豊凶を占ったそうです。
水神際とよばれる8月18日の祭りの日、人々はどんな気持で百日紅の花を見たことでしょうか。


何の花だと思いますか?
これは桜! ホントなんです。お庭に咲いていました。
10月桜という桜だそうです、桜といえば春ばかりと思っていました。


可愛い珍念さんがお掃除していましたよ。
此方のお寺には沢山のお地蔵様が・・・。


思わず手を合わせます。
困ったときばかり手を合わせる不届きものの私をお許し下さい。すみません!


お花はまだ新しい。
お参りに来た方が手向けてくれたんでしょうね。
雑念を祓いましょう。
貴方は何を願いますか?
宝くじが当たりますように!なんて言ってませんか?


立派な座像がありました。
その下には何体もの地蔵が奉ってありました。


妙要寺を後にして次に向かいます。最後に穂見諏訪神社。


筒粥神事なども行なわれる町内一の人気神社ですが、ちょっとヘンなものを発見しましたので御報告を致します。
境内にある1本の石柱。皇紀弐千六百年と記されています
太平洋戦争前の日本は神武天皇即位からちょうど2600年ということで、国威発揚に「紀元は2600ねん~」という歌まで作られてさかんに歌われたそうです。
戦前「八ケ岳会」というものがあって、紀元2600年記念として静岡県の海面を基点として身延線、中央線で小淵沢経由甲斐大泉下車、天女山経由で八ケ岳に登り、権現岳山頂近くの海抜2600米の箇所に至るまでの間標高100米毎に標識を立てる、という事業が行なわれました。
「世界民族の精神的統一の中心を八ケ岳に置く」という気宇壮大なものでした!
この石柱が現在「八ケ岳の石柱」と呼ばれ、郷土の歴史研究家達に注目されておりますが、穂見諏訪神社の石柱もそうではないか、と思われるのです。
既に幾つか発見されているものよりかなり背が高いのですが、神社の境内だけに特別のものが設置されたとしてもおかしくありません。


ま、それは今後の研究の成果をまつこととして、今日は充分わが町再発見の旅を楽しんだウオ-クでした。
なんだか、今日はお寺めぐりみたいですね。
この次は皆様の町を「再発見ウオ-ク」しにまいります。

「民話を訪ねてウォーキング・下見」その3 ~風の三郎社コース~

この地域では雨乞いを八ケ岳権現に、晴天を日吉神社に、暴風雨よけを風の三郎社にそれぞれ部落の代表が毎日当番として代参していたといいます。それを三社まいりといいます。またこの地域では防風林のことを「風きり」と呼び習わしていますがこれは八ケ岳から吹き降ろしてくる季節風(八ケ岳おろし)を防ぐ先人の知恵でした。昔は風きりの松1本切っただけで打ち首というくらい、きびしく守られていたそうです。今でも立派な赤松の防風林が残されています。この地域から見える八ケ岳は右に赤岳、左に権現岳と一段と厳しい山容です。特に左に聳える権現岳は昔「風の三郎岳」と呼ばれて、ここから吹降ろす風がものすごかったそうです。そこで「風の三郎社」を祭ったのでしょうね。鎌を板にうちつけてそれを風の吹いてくる方向に立て掛けておくという、こわいような風除けのおまじないもあったといいます。
賢治の「風の又三郎」には『風野又三郎」という異稿があり、冒頭「ぼくが八ケ岳の見える縁側に座っているとね・・」とあります。きっと賢治はこの地の風にまつわる様々な風習や言い伝えを聞いてそれをヒントに『風の又三郎」を書き上げたのだと思われます。
賢治終生の親友保坂嘉内は風の三郎社のある高根町の隣町「韮崎」に住んでいました。
きっと彼の家に遊びに来ては縁側にすわり八ケ岳を眺めながら様々な話しを聞いたのでしょう。
・・と、ペアハットさんに教えてもらいました。


今日も歩く前のお勉強です。
身振り手振りを入れて説明に熱が入ります。
聴く側も真剣です。


さぁ~風きりの里、三社まいりに出発です。
車はこちらのお店に(北甲斐亭)置かせていただきます。(お昼はココに帰ってきてからお店のものを食べます。)
里山歩きは地元の方とも仲良くします。今回はその地元に詳しい、丘の公園の大柴さんに案内をお願いしました。この方の後ろにメンバーが続きます。


一人でいったら絶対迷う!そんな感じの道でした。藪の中を前の人について歩いていきます。ザック、ザック、サワサワ、ちょっと急な上りです。(11/24言葉の学校課外授業・本番の時には地元の方たちが草刈りをしてくださるそうです。)
もう少し上に最初の社があるそうですよ。よいしょ!よいしょ!ハァ~、ハァ~、がさがさ、、、黙々歩く。


到着しました。こんもりした小山にありましたよ。
ご神木なんでしょうね、大きな松に守られた形でちょこんと奉られています。(後ろは樹齢何百年?という赤松です。)この上には松はありません。これが親松だと言うことです。。この社の下には松があります。メンバーの一人がのぞき込んで「ふ~~ん、これなのか~」「どれどれ中はどうなっているんだろう?」ぐるっと一回り。正面に菊のご紋みたいな印?昔の皆さんは此処で手を合わせお願いをしていたんですね。


次に向かって農道を歩きます。
まだお日様もあって三社まいり日和ですね。鼻歌でもでてきそうな田園風景の中、足も軽やかに進みます。今はアスファルトになってしまいましたが、以前は凸凹道?だったのでしょう。想像して下さい。自分が本人になったつもりで、牛車とか馬車で収穫したお米などを運んでいたんでしょうね。ガラガラ引く牛車の上には子供が一人乗っている。!
はぁ~シャンシャン!


都会では味わえない落ち葉の道を歩いていきます。
落ち葉のじゅうたん素敵でしょう。色とりどりの落ち葉に思わずシャッターを切ってしまいました。
カサコソ、カサコソ、カサコソ、カサコソ、・・。


アスファルトの道から水路沿いに曲がってここから次の社に行くところです。大きな声では言えませんが、(小さい声では聞こえない!)私ココで蛇さんに出くわし思わず「ワッ、ワッ、ワッ、」の輪が三つ!みつわ~石鹸。何を言ってるんでしょう私ったら、「いきなり、ぎゃ~」にはなりませんでしたが驚いたのなんの。どうも蛇には申し訳ないのですが好きになれません。(苦笑)蛇好きの方がいましたらご免なさい。


日吉神社には社が二つ奉られておりました。
これはその一つです。下草もきちんと刈られてきれいにしてありました。大事にされているんですね。


もう一つの社です。
晴天の神様です。お日様がでてくれないと作物が育ちません。何が欠けても困りますが太陽が無い世界が来たら怖いですよ。社の直ぐ側には必ずご神木があります。子供をかばう親みたいだなぁ~なんて感じました。


鳥居は少し新しいですね。
地元の方が古くなったので新しくしたのかも?雰囲気のある場所です。


日吉神社を後にして、又水路沿いを歩いていきます。今回は仲間と一緒なので寂しくありません。一人では怖いから次回来るときも誰かと一緒に来ます。此処に来るとき誰にも途中会いませんでしたから。


信仰心は今の方たちより昔の人たちの方があったのかも知れません。(エッそんなこと無いって!失礼しました。)
ココのお社は建物の中にもうひとつ入っているんですよ。


これがその中の写真です。


「私は神のお使いなるぞ!」
「お供え物をくれないとここから返さない~。」
「特にお酒は大好きなので、供えてくれたら幸せなり~」
「つまみは煮貝が所望である~」
「可愛いお酌のお姉さんもお願い~」
なんて言ったかどうかは分かりませんが?
この方誰だか判りますよね。遊び心をもった○ア○○トさんでした。


楽しいひとときを過ごして最後の場所に向かいます。
ちょっと階段がきついですよ。


コース中には木が倒れていたり下草に足を取られたり、道とは思えないコースでしたが、それなりに私は楽しめました。
「よっこらしょっ!頭をぶつけないように、一人一人順番に越えていきます。」ココは太めの方には無理?私は通れたからまだ大丈夫です。(笑)
貴方はどうですか?


「おととと・・・」足が引っかかってしまいました。
思わず苦笑い。「足が長いもんで~」


今まで何回探しても見つからなかった三郎社の入り口です。
「本当にこんな所にあるの?」と思いたくなる入り口でしょう。


みんなに続いて入ります。


ハーイ、これが三郎社です。どっちでしょう?左は此処の部落にあったお社です。右側のお社が三郎社です。
何回か理由があって移動、地元の方でも関係者以外知られていないとか。(以前は山の方にあったらしいのですが道路拡張で此処の場所に移されたとのこと。)


後から移されたので石積みが隣と違っています。
これからは此処の皆さんがしっかり守って下さることでしょう。


これで、風きりの里の三社まいりは終わりです。
皆さんどんな感想を持たれましたか?
昔は今より不便で土地は痩せ、寒さも半端ではなかったと、ご近所のお年寄りから聴いたことがあります。先人のご苦労があって今、私達があるのかも知れません。感謝しながらこれからも里歩きを楽しむつもりです。
皆さんに写真と文字でそれをお伝え出来ればいいのですが?


こちらは地元の元校長先生で、風の三郎社について色々教えて下さったお宅です。今回この下見を無事終え、感謝のつもりでお声を掛けました。「こんにちわ~先生いますか~?」お食事中でした。そうです。もうお昼なんですよ。私達も戻ってお昼を食べましょう。


お庭には、きれいに剥かれて干し柿がありました。
昔は今のようにお菓子がなかったので大切な食料です。その昔、今頃の時期になるとあちこちの軒先に干してありました。それをおやつ代わりにみんなで食べたんですよ。一家団欒のひとときを茶の間でね!テレビだって今のように1軒に1台(1人1台)ではなく余裕のある家しか買えなかった時代です。信じられないですか?(私が子供の頃のお話です。)今の幸せに感謝です。


なんと、校長先生のお宅を出た頃から雨が降り出しました。誰か雨女、雨男がいたのでしょうか?どんどん本降りなってきました。用意のいい(本当は雨女?)梟マムさんは傘をさして歩き出しました。私はいつもなら必ずリュックの中に傘が入っているはずなのに今日に限って入れ忘れたのです。「あっっ しまった!」仕方がないので北甲斐亭までそのまま歩きました。マムさんの歩く姿なんだか楽しそうでしょう。なんか歌っているみたい。「雨の歌が聞こえてきそうですね。」私といえば「雨に濡れながら~里山歩く人~~」


ビショビショに濡れてしまった私達は、車を置かせていただいた北甲斐亭にてお蕎麦を食べました。
私は温かい天ぷらソバにしました。我らがリーダーは熱燗を楽しんでおりましたよ!いいのかなぁ~ ○○気を付けてお帰り下さいね。。
今回の報告はこれにて終わりです。

「民話を訪ねてウォーキング・下見」その2~天女山コース~  


まきば公園から天女山コースを歩きます。
その前にお腹の方を満たさないとね!
思い思いの場所でお弁当をひろげ食べました、食休み後、準備体操をしてから歩きます。
ペアハットさんより、今から歩くコースの説明をみんなで聞いています。八ヶ岳の天女山も景色の良いところですよ。


天女山に向かって歩き出したところです、天女山の入り口は公園道路を横断しなくてはなりません。


天女山に入りました。
今日は晴れたり曇ったりのお天気でした。


歩いていると赤い実の木が目の入りました。これは何ですか?名前を知っている方教えてください。


ボケの実です。
これを焼酎漬けにしておくと美味しいとか。
ボケ防止にいいのかしら?最近特に忘れっぽくなって笑われることばかりなもんで・・。


ツルウメモドキが綺麗です。
高い場所にあることが多いのですが・・・。歩いたコースには低い場所に沢山ありました。
目を楽しませてくれます。


山の中をひたすら歩く、歩く、歩く、・・・。だって歩こう会ですもの。


急な坂もありましたよ。
転ばないようにしっかり踏みしめながら歩きます。上の人が転んだら大変です。みんな、スッテン、コロリン!大けがになってしまいます。


先頭は張り切って早歩きでどんどん歩いていきます。


この標識に沿って進みます、もちろん天女山の方ですよ。


ココの分岐点では天女山山頂に向かって登ります。


やっと天女山の頂上に着きました。
ちょっと、ひと休み、「よっこらしょっ!」
お喋りに花が咲きます。


可愛い花? いいえ、マユミの実です。
何本もありましたが、そろそろ、マユミの実も終わりかも知れません。


この東屋の中には山の紹介が・・・。
それを見て談義しているところです。
天女山の紅葉はとても素晴らしいですよ。以前来たときは雲海と紅葉がとてもよかったです。


この真ん中に八ヶ岳神社の名前がありました。
重い石を山の中まで運ぶのは大変なことです。安全祈願!


おや~これはなんだ!
みんなで刻まれた文字を見ています。まだ、いろんな面白いものがありそうで次回調べることに。


この緑色は何でしょう?
光り苔か?
これも宿題になりました。


この階段を下りてきました。直ぐ側に信号機がありますので分かりやすいです。
でも、この階段は歩きにくかったですよ。板が曲がっている感じです。歩かれる方は気を付けてください。


この信号を左折し、まきば公園に戻りました。

山梨の昔話をご紹介します。
むか~し、むか~し、その昔、八ヶ岳は富士山より背が高かったですって!それがなんで、今は低くなったかというと、富士山の女神(浅間さま)と、八ヶ岳の男神(権現さま)が背くらべをしようと言いだした。二人とも強情で自分の方が高いと譲らなかったんですね。そこで二人は仕方なく、阿弥陀如来さまという仏様に決めてもらうことにしました。如来さまも、たいそうお困りになって、暫く考えておられたそうです。やがて長いトイを持ってきて二つの山にかけました。そして、真ん中から水をお流しになった。すると、どうでしょう水はどんどん、富士山の方へ流れて行くではありませんか。こうして八ヶ岳は勝ったものの、負けた富士の女神は悔しくてなりません。負けた富士の女神は思いっきり、八ヶ岳の頭を太い棒でたたいたそうです。すると、八ヶ岳の頭は八つに割れて今のような峰になったと言われています。編笠山、権現岳、旭岳、西岳、阿弥陀岳、赤岳、横岳、硫黄岳、がそうです。そのときから、八ヶ岳よりも富士山の方が高くなったと言われています。

天女山と呼ばれた訳は・・、昔々、諸国の神々が瑞穂の國の中程にあたる齋の杜(今は言葉がなまって「美し森」とよばれている)を盤座の山と定めて,八百万の神々が天下り、その年の國を治める掟を話し合うならわしがあった。この杜が齋庭としてつかわれていた。「これが終わると天女山に住む仕女を招いて、舞を奉仕させた。仕女は斎の杜にはべる時は天の河原で身を浄め、舞衣は羽衣の池で洗い浄めて用いた。天女はこの地に好んで住むようになり、この山を天女山と名付けられたそうです。

「民話を訪ねてウォーキング・下見」その1 ~八右衛門コース~

「八ヶ岳ことばの学校」(11月23・24日開催)の課外授業、「民話を訪ねてウォーキング」の下見に参加してきました。


歩こう会では必ず準備体操をします。
甲斐小泉の駅前で参加メンバー全員で「おいちっに、さんし、ごう、ろく、~~ じゅ~」?? 次は・・、「おててをプラ~プラ~~!」「屈伸運動・・・。」と、ひととおりの運動をします。体が温まったらさぁ~出発です。


小泉の駅から泉ラインを歩き始めました。
道路の両側はまだ紅葉があり景色を楽しみながら、八右衛門湧水に向かって歩きます。


八右衛門湧水の看板の前で記念写真を撮りました、みんな歩こう会の仲間です。
いい方ばかりで一緒に歩くと楽しいですよ。


懇々とわき出る八右衛門湧水!
雰囲気あるでしょう?
しばし説明に耳を傾けるメンバーの面々です。


正面から見た八右衛門湧水です。
神様から授かった湧水を大切にしなくてはいけませんね。周りの木々がこの湧水を守っているように感じました。


西国20番 千手観音立像
(小荒間を通る上の棒道には石に彫った観音様が並んでいます。約5キロの間に37体、その内の1体です。)安置されたのは約150年くらい前で旅人の安全を願って3つの村が(小荒間の有志、谷戸村の有志、白井沢村は2体を村全体で)お金を集めて造立したそうです。この観音様は今までどんな人を案内したのでしょうか?もし、この観音様がお話をしてくれたら・・、さぞ楽しい事でしょうね。手を合わせて拝んでみましょう、ひょっとして、お話を聞かせてくれるかも知れませんよ。

 


長坂町の大切な文化財です。
仕事はしていないそうですが(お米を搗く等)、なんか懐かしくなります。水車っていいですね!


三分一湧水の入り口はモミジが紅葉していて何と綺麗ではありませんか!赤、黄色、緑の3色が私達を出迎えてくれました。肉眼の方がレンズを通したより綺麗でしたよ、思わず、喚起の声!


ネ、いいでしょうこの感じが・・・。
素敵なゲートの中を歩いて湧水へ


三分一湧水に大きな石がありました。
その昔、大水が出てこの石が流れて来たとか・・。その説明が「????」、あっ!忘れてしまいました。


なんて書いてあると思います?
ここに来て見て下さい。(なんかコマーシャルみたいな文句になってしまった。)
パソコンのコマーシャルに・・・、来て見て触って○ジ○~のお店!と言ってる宣伝です。


滾々と湧き出る湧水は迫力十分です。小さな滝ノ下に石があるのが判りますか?
この三角の石は武田信玄が三つの村に水が均等にいくように三角の石を置いたと言われています、それで三分一湧水の名が付いたそうです。


ペアハットさんの説明に耳を傾けるメンバーの皆さん。

これでこのコースは終わりです。
八ヶ岳にお見えの際は、この三分一湧水にも是非お立ち寄り下さいね。

「清里開拓の道ウォーク」の巻

日本ウオ-キング協会後援、JVA公認の大会です。清里の開拓の歴史にふれ、健康とコミュニケーションを育むフロンティアウォークに参加してきました。


ここは6キロコ-スの受付です、暇そうに見えますか? この写真見ていると、そう見えますね。でも、それは違うのです。さっきまで大忙しだったんです。
私の到着が遅かったのでのでほとんどの方は手続きが終わっていました。もう、一仕事した後の写真です。ちゃんちゃん!


「さぁ~、美味しい地元の牛乳ですよ!飲んで、頑張ってください。」
とっても素敵な笑顔のお兄さんは大忙しです。並んでいた皆さんに牛乳を差し出していました。無料の美味しい牛乳を3杯飲んだ人がいらっしゃいましたが・・・、
後でおなかが痛くならなかったか?人ごとですが心配になりました。


丘の公園のグランドで出発式が行われました。
420人近い人たちに大きな声を張り上げて事務局のペアハットさんが頑張っています。
「コースごとに並んでください。」「右から6キロ、13キロ、18キロ」「え~~聞こえていますか~?」
「八ヶ岳歩こう会の方々は一番前に並んでください。」「藤沢から、歩こう会の方が参加してくださいました。」・・・その他いろいろ!


(財)丘の公園管理公社支配人 挨拶!
八ヶ岳歩こう会会長 紹介!
八ヶ岳活性化研究会会長 紹介!
この後、歩こう会の田中さんによる準備体操がありました。
体をほぐしてさぁ~出発です。
最初に18キロの人達から歩き出して・・・、次は13キロ、そして最後は6キロという順番です。


最初は団子状態ですから皆さんおしゃべりしながら歩いています。
お天気に恵まれて今日はウォーク日和です。
いきなりの上り坂に「はぁ~はぁ~」息を切らして登っていました・・。ファイト!ファイト!


これから清里の上に向かって歩いていきます。前のグループと間があいているのはコースの違いでしょうか?
皆さん軽やかに歩いているでしょう?
黙々歩いている人もいれば・・・、ピイチク、パアチク、おしゃべりに夢中なご婦人も・・・。


この場所は、踏切をわたった遊歩道。綺麗に見える舗装道路は最近出来た清里高原有料道路です。この手前で6キロコースの人達とお別れしました。分岐点からここを歩くのは13キロ、18キロのみです。少し先を右に曲がり林のコースに入ります。


紅葉の葉っぱは落ちてしまいましたが素敵なところでしょう?追い越しは難しい場所ですね!中は狭いので1人づつ並んで歩くようになります。皆さん同じペースで仲良く・・・。女性の皆さんは歌を歌いながら楽しそうに歩いていました。


清泉寮のキープファームショップに到着!
おトイレ休憩、一息入れてから又頑張って歩きましょうね!


みんなが休憩しているもんですから・・・。前にも後ろにも人影がありません。私一人で鼻歌を歌いながら歩きました。(素敵な道でも、さすがに誰もいないと怖い。)後ろから「ワッ!」なんてされたらビックリですね。


八ヶ岳ふれあいセンターのところで13キロ組と別れ、八ヶ岳高原有料道路を渡り、美し森に向かって歩きました。美しの森駐車場までは登りのきつい道に汗が噴き出しました。きつい登りはひとまず終わり、美しの森信号から少し歩くとサイクリングロードの入り口があります。ここからは下りですがクネクネした道をしばらく歩かなくてはなりません。


ただ黙々と歩く3人の女性グループ!何を考えて歩いているのでしょう?
「今日のウォークが終わったら買い物して帰ろうかしら?」それとも「今日の晩ご飯はなんにしようかしら?」お昼を過ぎていましたから「お腹が空いたわ~どこでお昼を食べようかしら?」なんて・・・。
私も実はお腹が減っていたんです。


お昼のお奨め!ベンチがあって丁度いい場所でしょ!
川沿いのお散歩道です。18キロコースにはこの辺が限界?萌木の村まではお腹の方がもちませんでした。満足したお顔でしょう~?


萌木の村に向かって歩いていく皆さんです。
おーい、お腹の方は大丈夫?芝生の所まで頑張るのかも?あと15分程歩けば萌木の村に着きますよ。
一番後ろは13キロの「後追い隊」2名。18キロ組と13キロ組が混ざったようですね。


やっとありつけた美味しいお弁当、幸せを感じる瞬間かも知れませんね!お腹が空いているとイライラするし・・・、力も出ませんよ!これで又、頑張れます。

自然と笑顔が出てきます。頑張った後のお弁当は最高ですよね!
「し・あ・わ・せ・」満足して、とてもいいお顔です。みんなで、はいポーズ!


あら、いや~ん、写すんだったらメイクしなくちゃ~。
デモ、大丈夫よ!私達○○がいいから・・・。
モデルになったつもりで決めましょ!
サァ~どうぞ写してください。
とは言ってないですが・・・、素敵な皆さんでした。


芝生での楽しいお弁当も食べ終わりました。お腹もいっぱいになり、残りのコースをもう少し頑張りましょう。
木の右側はホールオブホールズです。


途中で、石碑を見つけました。
ここは八ヶ岳分教場跡なんですって?


歩いていると素敵な景色が目に入ったのでパチリ!
一寸いいでしょ~ この感じ! 車だったら通り過ぎてしまう景色も歩けば味わえます。


清里には2人の開拓の父がいらっしゃるそうです。開墾、農業指導と開拓者と共に生き、八ヶ岳教場の建設にも尽くした安池興男氏がその一人です。ここの公民館は、興民館と書きます。氏を忘れない為とか。それほど清里の方にとっては、とても大切なお方だったんですね。


ここからの道は、開拓の人達の大切な道な為、普段は一般の人が歩かない道らしいですよ。
その大切な道を今回は歩かせて頂きます。昔、苦労された方に感謝しながら残りの2キロあまりを味わって歩きます。


後ろを振り向くと・・・、開拓の人が?
いや~違いました。
なんだかこの道は雰囲気がありますね!


昔の人はここの荒れ地を耕しながらどんなことを考え・・・、そして思ったんでしょうか?
泣きたいくらい大変だったんでしょうね、想像する事しかできません。


あと、1キロの看板にホッっとする私。
もう少しです、ここを登っていくとどんな道があるのでしょう?自分にファイト!
この看板が私に頑張れって言ってるような気がします。右足が少し痛い! さっき小石に足を取られたからかも?帰ったら湿布をしなくては・・・。


この坂をリヤカーでいろんな荷物を載せて運んだのでしょう?引く人と押す人が力を会わせないと無理ですね。
この道は急坂です、大変な労働と痩せた土地。寒さとの戦い。今よりも寒かったと聞きます。条件は最悪に近かったのでしょうか?自然は大切ですが、昔の方はそれで苦労されたから・・・、便利な今の方がいいのかお聞きしたいです。


開拓の道でお逢いした方と一緒になりました。


この道を歩いていたとき、気が付いたんです。道路の中央に此の道標が目に入りました。間隔をあけて印が埋めてありました。右側は開拓の土地、左は分譲地みたいでした。
上の写真を見て下さい、手前が分譲地だと思います?向こうは開拓の土地なんでしょうか?
此の道標がなくなってしばらく歩いたらゴール!


到着しました、先に着いた方たちが談笑しています。歩き終えた開放感と満足感が話を弾ませます。
ね~、どんな感想ですか?


3人のファミリーが楽しそうにしていましたからスナップを撮らせて頂きました。
そこで問題です、お子さんは最後まで自分で歩いたでしょうか?パパかママに抱っこして貰ったでしょうか?
正解者には○○のご褒美を差し上げます。


此の大会にはワンちゃんも参加したそうですよ。
なかなか此方を向いてくれませんが飼い主さんはとってもいい笑顔をみせてくれました。


ど~う!皆さん沢山飲まれました?
は~い、皆さん美味しいと行って飲んでくださいましたよ!
とても感じの良いお兄さんです。


こちらの方も、いい笑顔で写真に入ってくれました。
売れました? はい、有り難うございます。
皆さんに評判良かったんですよ~


受付の方たちは登録者のチェックをしてから完歩証の授与していました。
3時近くなっていましたからじっとしていると寒いです。足踏みをしながら頑張っていましたよ、ご苦労様でした。


頑張りましたウォーク参加の最後の皆さんを、歩こう会の「後追い隊」がお連れしましたよ!
みんなでお出迎えです。パチッ、パチッ、パチッ、お帰りなさい。18キロ「後追い隊」の到着です。ご苦労様でした!


大任を仰せつかり、最後まで仕事したスタッフに拍手! お疲れさま、そしてご苦労様でした!。満足感が顔に出ていますね!
後ろでは、撤収した看板が・・・。
みんなの協力のもと、分担して出来た大イベントです。関係者の皆さん、大成功ですよね~、それではお手を拝借、シャンシャンシャン!
お疲れさまでした。今日はぐっすり眠れそうです。歩き終えて私も嬉しくなりました。

開拓の道クリーンウォーク

「いいやつ八ケ岳の日」の記念行事を兼ねて開催された、八ヶ岳歩こう会・開拓の道クリーンウォークに参加してきました。11月12日に行われる「開拓の道ウォーク」コースのゴミ拾いと看板のチェックを兼ねたウォークです。
そんな私達を八ヶ岳もいい顔で迎えてくれました。風が強かったのですが気持ちの良い八ヶ岳の1日でした。参加者のガンバリを見て下さい。


朝9時半に丘の公園に集合、出発前のひとときです。
駐車場の木々も紅葉していて綺麗でしょう。
歩こう会の理事さんが相談しています、きっと今日の分担を決めているのかも知れませんね。
左側の皆さんは今日私と歩く仲間で、Pきーすいんさんご夫妻とP風路の周平さんです。私はカメラマンですから写っていません。この後準備体操をしました。


6キロ・13キロ・18キロに分かれ、手にはビニール袋を持って、イザ?、出発です!
分岐点まではみんな仲良く歩きながらゴミ拾い!ワイワイ、ガヤガヤ、ぺちゃくちゃ、おしゃべりに忙しい人も・・・。


ここが分岐点です。
6キロの人は右に、13キロと18キロ組は左に!
(このすぐ左は踏切です。)
看板が風で倒れていた為、みんなで直しているところです。当日は案内係の人が2人ここで待機しているそうです。


お天気に恵まれたこの日、八ヶ岳が綺麗だったのでメンバーの皆さんとゴミの収穫も一緒に「はい、ポーズ!」
八ヶ岳の下に見える建物は(キープファームショップです。ここのソフトクリームを休憩時にみんなで食べました。)写真を撮るのを忘れましたが・・・。
ふれあいセンターに行く手前の道でジャージー牛の大移動に会いました。何度も来ていますが目の前を歩いていくジャージー牛団なんて初めての体験でした。(今笑えますがちょっと怖かったです。)係りのお姉さんは慣れた様子で沢山の牛達をリードしていたので皆ビックリするやら感心するやら・・。


オット!こんな所にも・・・
いつもは健脚揃いの皆さんサッサ、サッサ歩くのですが今日ばかりはキョロキョロしながらの行進です。草むらの中には缶や瓶、お菓子の包み紙が捨てて有り、ゴミのビニール袋はだんだん膨らんで・・。
車のホイールがあるとビニールはそれだけで満杯です。文章に書けない困ったゴミ?には泣かされましたね!遊歩道沿いに幾つもあったんです。そのときには鼻をつまんで処理しました。


目敏く見つけては袋に入れていきます。
落ち葉の中にも空き缶が・・・。空のペットボトルがちょこっと顔を出していました。

 


「あっ、ここにもゴミが・・」
この道は普段観光客の皆さんが入らない場所なのでビックリするほどゴミはありませんでした。
大きなゴミはありませんでしたが缶が一番多かったと思います。
紅葉も十分楽しみながらのクリーンウォークです。


風にも負けず、ゴミにも負けず、皆さん、とても軽い足どりです。
この日は風が強くて帽子が何回も飛ばされそうになりましたが、素敵な青空でしょう?
【ご報告!】
サイクリングコースをクリーンウォークしながら歩いていた時に、熟年のご婦人が前から歩いてきて自分の空になったゴミを「はい!」って差し出すんですって!この人のゴミは受け取らず、ひとこと言ってあげたそうです、「自分の出したゴミは責任を持って処理してください。」
気をつけましょうね!


丘の公園の方が集めたゴミを仕分けしているところです。
ゴミ箱の前に車のホイールが見えますか?実は、私も落としたことあります。なんかの拍子に外れてしまうんですよね、気がついた時探すのですが落とした場所も判らないから、あちこち行って探してもなかなか見つかりませんでした。