自宅療養中!
私は甘いものをほとんど食べない。と言うか余り間食をしない人。3食しっかり食べるから間食しなくて済むのかも?以前にも話したと思いますが私の実家は和菓子屋さんだったのです。甘い匂いが家中していました。両親は徹夜仕事を良くしていた。働き者でしたね、でも無理がたたったのでしょう?父は若くして体を壊してしまった。私が中学生の時、脳梗塞で倒れて無理が出来なくなって和菓子作りをやめ、子供相手の駄菓子屋さんになった。私、お店には売り物のお菓子がいっぱいあったけれど甘いお菓子には興味なし。醤油味のお煎餅の方が好きでした。だから今でもお菓子は余り食べない。作る方が好きです。父も作るけれど甘いものは食べない人、辛党で日本酒が好きな人でした。でも私、無性に甘い和菓子が食べたくなることがあるんです。洋菓子より和菓子の方が食べたくなります。父の影響かな?田舎の和菓子屋さんでしたから機械ではなく全部手作りでした。大きな釜で大きな「しゃもじ」みたいな道具を使って餡子を練っていた姿が思い出されます。父の真似をして大きな釜の上に立ち、混ぜようとしたことがあります。最初は砂糖湯みたいな状態でしたから混ざられたのですが、材料が増えるにつれ重くなって混ぜることが出来なくなり、最後は父に助けてもらったことがありました。「お父さん、ヘルプ!」力仕事だったからでしょうね、痩せていたのに筋肉質で肩まで筋肉が盛り上がっていたかな?私が言うのも可笑しいですが父は腕のいい和菓子職人でした。懐かしい思い出です。父の事、凄いと思ったことがあります。見た目も美しい綺麗な和菓子ってありますよね、ヘラを使って色んな和菓子を作っていた。何種類の和菓子を作っていたんだろう?温泉饅頭って知っていますよね、父が作った「おまんじゅう」を割ると中央に餡子、周りの皮は薄く均等に仕上がっている。子供ながらに「上手だなぁ~」って思っていました。忙しい時には近くに住む叔母も手伝いに来ていました。母や叔母の作ったお饅頭を割ってみると父が作った「饅頭」とは違った。半分に割ると違いが分かりました。他の人が作った饅頭は皮の厚さが均等でなく父の腕の凄さが分かった。和菓子作りに必要な道具も色々ありましたね、金型、木型(鯛、鶴、亀、花、その他いろいろ)も沢山有りましたよ、残った材料で私も作らせてもらいました。怒られたこともあります。完成間近の羊羹が目の前にあったと思って下さい。固まってかと確かめていたら穴が戻らなくなって父が激怒、押し入れに閉じ込められた思い出があります。色んなことが思い出されます。今頃になって和菓子作りを教えて貰っておけば良かった思っています。もう今更遅いですが、今になって和菓子作りがしたくなっています。一番上の姉とは干支で言うと一回り違う。和菓子作りも上の姉たちは手伝わされていたので少し作れた。本人たちは嫌がっていたけれどね、厳しかったからでしょう。昔、姉達が話してくれたけれど厳格で怖い父だったそうです。私は末っ子だったので甘かったのでしょう?兄や私には結構甘かったみたいです。へへへ…ですね。間食をしないと言っておきながらウォーク途中で仲間から頂く飴やお菓子は食べてしまうのは何故でしょう?本当は食いしん坊なのかも?歩いて疲れた体が甘いものを要求しているのかもね、何時も美味しく頂いてます。「皆さん、ごちそうさま!」
今月はクリスマスがあります。孫が近くに住んでいたらクリスマスケーキを作ってあげたかも知れないですね。離れているので無理ですが山梨に来た時には食べさせてあげたいと思っています。でも、近くだったら娘に「虫歯になると怒られたかも?」近くなくて逆に良かったかもしれません。(苦笑)
今日はチョコレートケーキですよ、写真で申し訳ないですが気分だけ召し上がれ!
2022.12.02(晴れ)金曜日
お菓子作りが好きで、お味も別格!
ルーツはお父様!
私も父が亡くなってから、もっともっとたくさん話しを聞いておけばと後悔しました。お互いに尊敬できる父親に育てられて幸せでしたね。
ママのブログで久しぶりに父を思いました。ついでに母のことも。
クララさん、何時もコメント有難う! 励みになります。
ブログに父の事を書いていたら昔の事が思い出され、懐かしくもあり寂しくもなったりしています。
親孝行したいときには親は無し!
最近、時々ですが母や父の夢を見たりします。
自分自身、残りの人生をどう過ごしたらいいのか?尊敬される親にはなれそうもないから明るく日々送る。
子供に迷惑がられない母でいたい。可愛い年寄りで過ごそうと思っています。