ブログで北杜市は肌寒いとずっと書いていましたが、過ごしやすい日が続き、寒いと言わなくても良くなりました。2025年の春が来たと言えます。昨日はいい意味での気分転換が出来て気持ちが切り替わりました。これからは明るく元気に過ごして行くつもりです。「毎日、すべての人、動物、植物など自分と関わる全てに感謝をして過ごす」
パジャマの膝がすれて薄くなり始めている。学校に通っているとき、家庭科が苦手だった私。家庭科の宿題が出ると姉に頼んで仕上げをしてもらった。末っ子の私は何時も命令ばかりされて育っていたが良い事もあったのです。姉妹喧嘩は歳が離れているので余りしませんでしたね、何しろ働き者の4人の姉が居るので「あれしなさい、これをやっておきなさい、口うるさい姉にうんざり!遊びたい盛りの私は怒られることが多かったかも?」4人のうち、三番目の姉が一番怖かったですね、一番上の姉は私と歳が12歳近く違う。私が中学1年生の時にお嫁に行ってしまったので性格は良く知らない。でも、姉に子供が生まれてから変わった。甥っ子が可愛くて私は子供が大好きだったので姉の嫁ぎ先へ自転車で遊びに良く行きましたね、親が忙しい時にはお子守をしていました。遊んであげたから懐いていたんでしょうね?私が結婚してからも「ふーちゃんおばちゃん、お家に行ってもいい?」二人の甥っ子を車で連れ帰り、東京見物(列車博物館などなど)に連れて行きました。叔母と甥っ子の関係は長く続きましたよ。色々と思い出しました。姉4人とも働き者でいい人なんですが、手八丁口八丁で元気なんです。末っ子の私は何時も命令されてばかりでした。それでも優しいところもあって頼りにしていたかも知れません。二番目の姉には子供時から可愛がってもらいました。昔から優しかったですよ、家庭科の宿題は沢山助けて貰いました。先生は完成品を見て笑っていたでしょうね?4人の姉も今は生きているのは1人だけ、6人姉妹(姉4人、兄1人)で直ぐ上の兄(2歳違い)も亡くなってしまったので今では2人姉妹(9歳離れた姉妹)になってしまいました。寂しい事ですが仕方がないと二人で励ましあっています。父は腕のいい和菓子職人、毎日忙しく働いていました。母も働き者でしたね、昼間は和菓子を作り夜は居酒屋さんみたいな感じになる。何しろ父がお酒好きで飲んべえさんが集まってくる家でした。母もよく働いていた気がします。両親が働いていたので当然子供も手伝いをさせられます。みんな一緒にご飯を食べる習慣はなかったです。店番をしながら宿題をしていました。家族旅行は???
私が結婚して母親となって裁縫をしなくてはならない時もあります。苦手なのは苦手ですが、私なりに頑張りました。姉達から「それは当たり前でしょう!」って言われそうですね。裁縫が得意な一番上の姉から私にミシンを頂戴って言われたことがあります。私の母は娘が出来るとミシンをプレゼントしてくれたのです。昔の話ですから「自動ミシン」では無くて「手動足踏みミシン」でした。自分で早さを調整できるので手作りの縫物をする人にとって使い勝手が良いとの事です。今は私も自動ミシンを使っていますが、滅多に動かさないので埃をかぶっている状態です。(苦笑) 裁縫が苦手の方に朗報→(便利グッズを売っているんですよ、写真があるので載せておきます。) お裁縫コーナーへ行ってみて下さい。楽しい商品が並んでいます。今では便利な商品があって裁縫が苦手な私でも上手に直せます。有難いですね、不器用な私にとって便利なアイテムが増え感謝です。
2025.04.19(曇り)土曜日