025きママな日記225

8/13~8/16は旧盆、山梨県に移住してきたころには東京式に7月にお盆行事をしていました。でも、火を焚いてお迎え火をする「おがら」などの品は旧盆に行う山梨県では揃わず、東京で7月にお墓参りをしたときに購入してきて住んでいる山梨県の自宅で7月13日に「お迎え火」をしていたんです。色々考えて私たちは今住んでいる山梨の地で揃う「8月に迎え火」を行うようにしました。8月なら山梨県でも「おがら」を買う事が出来ます。今日はご先祖様をお迎えする8/13です。ご仏壇にお花を添え、お供え物をし、迎え火をします。旧盆の日にはご先祖様が家にいらっしゃいます。そして8/16日には「送り火」をしてお戻りいただきます。実際にその姿を見る事は出来ませんが一緒に生活していた私には祖父母の顔が見えるような気がしています。主人の母とは会ったことが無いので思い浮かびません。そうなんです、私は孫嫁で母子家庭で育った主人と結婚しました。最初は別の場所で所帯を持ちましたが結婚して3年目に祖父の病気がわかり家を増築して同居したのです。最初は勝手が違う生活に苦労しましたが、祖父母と主人の妹と5人、何とか頑張り生活をしていました。月日が流れ、祖父母は他界し、妹は結婚し、家を建てこれから親子4人で楽しく過ごそうと思っていたら何と主人が「田舎暮らしがしたい!」と言い出したのです。1年前に家を新築したのにもかかわらずその家を処分して田舎暮らしをしたいと言い出して困惑しました。色々話し合って最後には東京から山梨県に移住、土地探し、建築屋さんの手配やその他諸々、苦労は尽きず、よく頑張ったと思います。ご先祖様が助けて下さったお陰かもしれませんね?

今日からお盆様、私の旧姓は池田です。母の介護から(神奈川県厚木市七沢村のリハビリ病院にて右半身不随状態から本人が一人で食事がとれるようになるまでの期間、約1年半介護生活、その後母一人で自活できるようにリハビリ生活後自宅へ戻った。)解放され東京の会社へ勤め始めて3年目、ご縁があって1973年(昭和48年)23歳 2/1寿退社 2/3市川健一と結婚 、15年ほどの東京杉並で生活、結婚後3年目に祖父が癌になり同居、祖父は1977年(昭和52年)12/31食道がんで死去。看護のご褒美か?翌年長年授からなかった第一子長男誕生1978年(昭和53年12月1日)、その5年後に祖母が寝たきりになり介護、病院入院、1984年(昭和57年)死去。娘を背負いながら祖母の看護をしていた時は大変苦労しました。自宅を改装し、建材業をしていたが田舎暮らしに憧れていた主人が東京脱出を計画。1988年(昭和63年)ペンションZOOMの工事を春スタート、12/1オープンした。ご先祖様の入っているお墓は杉並にあります。山梨に移住してから毎年、お盆前にお参りへ通っていたが二人が病気になり現在は管理などをお寺さんへ依頼しています。続きは後日に。

2025.08.13(曇り)水曜日

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