ケーブルテレビを観ていて気になった講座に昨夜行ってきました。
以前も甲州往還の話を聴きに行ったことがあります。
甲州街道は現在、八ヶ岳歩こう会で歩いています。
http://yatukosyu.exblog.jp/
小淵沢図書館講座「甲州街道」~河路と原路
江戸幕府によって整備された五街道の一つ、日本橋から甲府を経て、中山道の下諏訪宿と合流するまで44宿、約56里(219km)の甲州街道。現在の国道20号線とほぼ重なっています。近隣の町は甲州道中とどのようになか関わりがあったのでしょうか?地域の歴史を一緒に辿ってみましょう。
◆日 時: 6月25日(水) 午後7時30分~
◆場 所: 生涯学習センターこぶちさわ 2階 研修室
◆対 象: 一般
◆内 容: 「甲州道中~河路と原路~」 講師 安達満氏(前山梨県史編纂専門委員)
小淵沢町も渋沢(現長坂町)も水害で甲州街道が歩けなかったときに使われた宿場とか!?
河路と原路って何でしょう?
甲州道中(裏街道)
台が原宿から韮崎宿までの甲州道中は、釜無川の流域を南下しているので河路(かわじ)と呼ばれるが、しばしば洪水に見舞われ通行不能となった。そのときに利用された街道が原路(はらじ)と呼ばれる七里岩の上を通る山道。JR中央本線に近いところを辿っている。
一時間半と短い時間でしたが楽しく聴かせてもらいました。
昨日の話を思い出しながら頂いた資料をこれからじっくり読むところです。
昨日の講義
国界橋の近くに現存する逸見路のことも安達満氏が説明してくれました。
逸見路、がんまるさんウォークで歩きました。
逸見路ですが、甲州街道13で歩くかも知れないですね?予定では来年3月です。
まだ先のことですが、機会が有れば逸見路のこと、担当Yさんにお話をします。
そうそう、風路さんとマムさんと一緒に歩いてもらったミステリーウォークの下見。
本番は、2005年12月19日、その下見は、2005/12/12 (月)でした。
下見の日は、道の駅に到着する頃は雪となりました。本番は北風の吹くさむーい日でした。
あの時、(2005/12/12 )山道を下ってきて、国道20号線に出て、道の駅・蔦木に行きました。
雪が降ってきて寒かったけれど20号に出る手前の道は旧甲州街道だったのです。
先日、22日に車で走って下見をしたとき、「あ、この道はあの時に歩いた場所だぁ~!?」
運転しながらニヤニヤしてしまった私です。
だって、偶然とは言え、歩いた道が役に立つのですから、してやったりです。
きママな日記にこんなことが書いてありました。嬉しい発見 2005/12/12 (月)曇り時々雪
「下見ウォークに出掛けた。新しい道を発見!私が開拓している富士見町のコース。以前から新コースを考えていたんです。足に優しい道を探していた。今日、別のことで親しい仲間と4人で歩いたんです。私が協力をお願いしたら気持ちよく引き受けてくれた皆さんに感謝!初めて歩く道は不安もあるけれど何だかワクワクする。一人でないので冒険も出来ます。行かれるかどうか分からない道を進む。そうしたら・・何とチャンと良い道に出られたではありませんか!昔は使われていた道。素敵な道を見つけられて嬉しい。途中、石仏を見つけました。石仏に刻まれている文字を見ると、「安政・・・」馬頭観音。来年には完成を目指してコース作りです。Mさん、Sさん、Kさん、今日は有り難うございました。富士見町は雪がかなり降り出してきた。道の駅・蔦木宿に到着できたのが3時前でしたので主人に迎えに来てもらいました。」今日は仕事なのでZOOMに帰ってから仕事をしなくてはならなかったからなのです。片づけも終わり一休み、お客様はお部屋へ戻られました。
http://8236.jp/kimama/diary/0512.html
歩こう会の仲間と一緒に歩いてもらった道が無駄にならず、甲州街道14に使えそうです。
コースが出来上がったらサブの皆さんと一緒に下見で歩いて頂きたいと思っています。
わが町発見シリ-ズ・がんまるさんと逸見街道 2005年10月2日(日)晴れ
http://8236.jp/kimama/walk/aruku/ganmaru-1002.html
ミステリーウォーク(高森草庵) 2005年12月19日(月)
http://8236.jp/kimama/walk/aruku/kidou-1219.html
安政(あんせい)とは、日本の元号の一つ。嘉永の後、万延の前。元号のひとつ。1854年から1859年までの期間を指す。井伊直弼が尊攘派に対しておこなった弾圧事件である「安政の大獄」は安政5年(1858年)。この時代の天皇は孝明天皇。江戸幕府将軍は徳川家定、徳川家茂。
行きたかったのですが、お仕事していました。
妖怪みならいさんも行くと行っていましたが、いらしていましたか?
今度内容を教えてくださいね。
誰かのように、右の耳から左の耳へ、ということはありませんよね。
「誰かって誰のことだ」とそばでツッコミが入りました・・・
それはワタシです、もちろん!(汗)
風路さんへ
>行きたかったのですが、お仕事していました。
講演会で知っているお顔は、2組で1組は自然クラブの方、歩こう会は宮澤さんだけでしたね。
何年前だったか忘れましたが、甲州往還の講演会が有ったんですよ。
まだ小淵沢が北杜市に入っていない時だったと思います。
参加者は、知らない方が多かったですね。
今回もほとんど知らない方ばかりでした。
その時に来られた方の中には、昔の地図を持参されていたんです。
巻物みたいになっていました。
チラッと見ただけです。時間が有れば、ゆっくり見せて頂きたかった。
その時のことを思い出しながら話を聴いていました。
話は、河路と原路のことがほとんど。
地図を書いて説明してくれました。説明のしてくれる場所が分かって楽しかったです。
でも、二日間お客様をご案内して身体は疲れていたみたいで途中、眠かった。
でも、興味ある話なので頑張って起きていました。(笑)
資料を今度お見せします。
原路(裏街道)ウォーキングも面白いと思ったけれど、言い出したら責任を取ることになるから絶対に言いません。(汗)
企画責任者って大変です。今の甲州街道責任者の誰かさんみたいになっちゃうからね。
仕事しないでウォークばかりしていたら、ZOOMに追い出されちゃうもの。(苦笑)
甲州道中(裏街道)
台が原宿から韮崎宿までの甲州道中は、釜無川の流域を南下しているので河路(かわじ)と呼ばれるが、しばしば洪水に見舞われ通行不能となった。そのときに利用された街道が原路(はらじ)と呼ばれる七里岩の上を通る山道。JR中央本線に近いところを辿っている。