「八ヶ岳歩こう会」「八ヶ岳自然クラブ」のメンバーです。 | |
旧甲州街道と原の茶屋跡・春の巻 2005年4月19日(火) 八ヶ岳歩こう会 |
今回の企画は、昨年の下見で「富士見・原の茶屋跡」持ち主の名取様と偶然お会いしたことから話が進みました。この日、家の中を見せて頂き、原の茶屋の説明も・・。その時、今は亡きお母さまが83才の時に昔の話をしたテープが残っているから聞かせて下さるとのこと。そして今日、そのテープをを聞かせて頂いたのです。午前中ウォーク、昼食をを富士見公園で済ませ、お昼過ぎに「桔梗屋」さんへお邪魔しました。玄関を開けてご挨拶♪「こんにちは、お邪魔します。八ヶ岳歩こう会のIです。今日は宜しくお願いします。」家の中からニコニコ笑顔で出てきて下さったのは原の茶屋「桔梗屋」さんを保存されていらっしゃるご姉弟です。囲炉裏の有る場所でテープを聴くだけで十分でしたのに奥の座敷へ。テーブルには美味しい漬け物が並んでいてお茶を頂きながらテープを聴かせて頂きました。テープの声は、名取とし子さん(当時83才)です。有り難うございました。 |
茶屋跡 屋根には珍しい「すずめおどり」 | 客間に飾ってありましたが誰のでしょう? |
「原の茶屋」 とちの木村と御射山神戸(みさやまごうど)村の間は距離が長く人家も無く、旅をするのに不便であったため、明和9年(1772)頃に松目新田の(名取)与兵衛が向原に出て茶屋を始めた。その後ここを中心にして次第に人家が増えて周囲の村と紛争が起きたので高島藩が40間四方の築地を築かせその中で茶屋を営ませた。現在、集落の出口辺りに古い家が2軒向かい合って建っている。屋根には珍しいスズメオドリ(屋根の棟飾りの一種) |
昔の面影をそのままに・・原の茶屋跡 | ご姉弟でお出迎え頂き、恐縮です。 | |
明治から大正にかけ歌会が開かれた囲炉裏端。建物は230年ほど前のものだそうです。旅館の名前は「桔梗屋」さん。この囲炉裏を囲んで島木赤彦、土屋文明、竹久夢二、斎藤茂吉、田山花袋ら多くの歌人、文人が座っていたと思うとワクワクしてきませんか? | ||
日本文学史の錚々たる歌人、文人が歌会をされた部屋でハイ、チーズ! | ||
名取様と一緒に!二列めの左側のお二人(旅館「桔梗屋」名取とし子さんのお子様でご姉弟) |
私達のために時間を割いて下さったお二人に感謝します。歌人、文人がたびたび訪れた桔梗屋さんは居心地の良い旅館だったのでしょう。お二人の優しい心配りに感謝の気持ちで一杯です。名取様に「おもてなしの心」を教えて頂いたような気がします。 |
お母さまが83才の時に当時の話をしたテープを聞かせて頂いた。これからも大切にして下さい。 | ||
八ヶ岳歩こう会の皆さんはテープから聞こえるお話を静かに聞いています。 |
以前新聞に紹介された切り抜きです。読売新聞、信濃新聞、見せて下さいました。 | ||
東京の新聞や地元の新聞に紹介された記事です。内容は下記をご覧下さい。 |
富士見町原の茶屋に、明治から大正にかけ島木赤彦、土屋文明、竹久夢二、斎藤茂吉、田山花袋ら多くの歌人、文人が訪れた旅館「桔梗屋」がある。今は営業していないが、建物は当時のまま。歌会が開かれた囲炉裏も残り、多くの書簡、掛け軸なども保管されている。色紙帳を借りて展示している同町「高原のミュージアム」の北村淳一学芸員は「桔梗屋の存在自体が貴重。文人らの足跡、当時の面影は残って欲しい」と話している。桔梗屋での文人らの交流を伝えるのは、名取とし子さん(九十九才)結婚当時、歌会が開かれた宿を切り盛りし、今年白寿を迎えた。五年ほど前まで独りで住んでいたと言うが、現在は近くの三女、喜与香さん宅に身を寄せている。「桔梗屋を守らなくてばーが母の口癖」(喜与香さん)と、時々訪れている。喜与香さんの話だと江戸時代末期、原っぱだった甲州街道沿いに茶屋を開いたのが「原の茶屋」由来で建物は明治の初めにに建てたものだという。歌人とのつながりは、富士見初代小学校校長の小池晴豊が同所に下宿したことがきっかけ。短歌に造けいが深く、赤彦らが盛んに訪れるようになった。本名の久保田俊彦の名で送られた「あす着くふろ頼む」の電報も残っている。夫の健朗(烟浪)さんも短歌を愛し、同所で盛んに歌会が開かれるようになり、多くの文人が集まり宿泊した。富士見には、明治末から伊藤左千夫、長塚節が、大正初めには、田山花袋、茂吉らが静養に訪れ、茂吉を訪ねて中村憲吉、平福百穂らアララギ派歌人も多く訪れたが、桔梗屋には左千夫の書簡、憲吉の陶芸が今でも残っている。宿帳でもある「色紙帳」には、花袋ほか文明、赤彦、茂吉、岡麓ら当時を代表する歌人ら十二人が、作品と共に名前を残し、夢二は同所から入笠方面を描いた絵を添えている。桔梗屋が当時、サロン的な役割を果たし、歌人の間で大きな存在だったことが推測される。こうした場でとし子さんは常に"裏方"役に徹し、多くの逸話を娘の喜与香さんに話している。茂吉は、「蜂の子ご飯を出したところ、初めは珍しがって手を出さなかったが、いざ食べると「美味しい」と喜ばれた。「水遊びがしたいと言うので釜無川に連れて行った」花袋は、「ふろ上がり、着物の前をはだけて出てきて目のやり場に困った」などなど。桔梗屋はとし子さんの強い意志もあり、殆ど改修されず当時のまま残されている。娘の喜与香さんは「書簡などを整理し、研究の役に立つようにしたい」と話している。 |
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本日のコースは下の通りです。 |
西友 富士見店〜富士見駅〜秋葉神社(ストレッチ体操)〜富士見峠信号〜聖ベネディクト会三位一体修道院〜透関馬頭観音像〜若宮八幡社〜溜め池〜富士見公園(休憩・昼食)〜御膳水〜原の茶屋跡(お話をゆっくり聞かせて頂く)〜白林荘〜富士見峠信号〜秋葉神社(ストレッチ体操・解散)〜富士見駅〜西友富士見店 |
今日は、気持ちの良いウォーキングと原の茶屋・桔梗屋さんでお話を楽しませて頂きました。 | ||
秋葉神社とコブシの花 | コブシの花が満開 | 八ヶ岳とコブシの花 |
小川射山の「帰去来荘 」 | 聖ベネディクト会三位一体修道院 | 原の茶屋地区からの八ヶ岳 |
透関馬頭観音像 | 若宮八幡社 | 梅の花が満開 |
明治天皇御膳水 | レトロな時計 | 犬養毅 直筆 |
今日のストレッチはF・Tさんです。いつものストレッチと違い新鮮でした。有り難うございました。 |
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「透関馬頭観音像」 原の茶屋の旧甲州街道近くの観音窪地籍に建てられている。高さ146cmで二段の台石の上に三面六臂の忿怒像の観音様が安置されている。この観音像は1780年に原の茶屋付近の甲州街道が悪路で人馬の通行が渋滞するのをみかねた乙事村出身の透関が私財を投じて道路改修した記念に通行人の道中無事を祈願して建立したもの。 |
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参加者全員集合写真16名 |
白林荘の紅葉 | ||
2004年11月3日撮影 きママな写真館の白林荘のモミジ |
4月17日撮影。富士見町若宮地区から見た八ヶ岳。 |
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