武田信玄の棒道ウオーク・パート2 その2 2006年11月23日(木)晴れ (北杜市教育委員会生涯学習課 主催) |
棒道沿いには、観音様が安置されています。この観音様は武田信玄の時代から300年たった江戸時代の終わり頃に安置。小荒間村(今の長坂町小荒間)と谷戸村(今の大泉村谷戸)の有志がお金を集めて建立したそうです。旅人の安全を願って、棒道を整備し、1町(109m)ごとに観音様をおいて、道案内をする目的だった。当初は100体の予定だったが、西国は三十三までで、板東は十六番で終わってしまったようです。この棒道沿いの観音像を調べ現存しているもっとも古い資料は、長坂町青年会郷土研究グループ六人が昭和52年(1977)調査発表した「棒道と石仏」(長坂町史跡めぐり)と言うガリ版刷のもので、コピーしたものが長坂町図書館にあり大変貴重な資料です。調査当時倒れていた石仏もあったようで、その後のものでは「山梨県歴史の道調査報告書」や「長坂の石造物」です。現在紛失の観音像で西国三番(昭和38年川出兵武氏撮影)、西国十四番(昭和41年品田悦彦氏撮影)の写真がある。西国十四番は置かれていた台座の大石のみが残っているそうです。棒道沿いには、5種類の観音様を見ることが出来ます。(観音には、全部で7種類有るそうです。) 1、聖観音(しょうかんのん) 2、千手観音(せんじゅかんのん) 3、十一面観音(じゅういちめんかんのん) 4、如意輪観音(にょいりんかんのん) 5、馬頭観音(ばとうかんのん)です。 長坂町郷土資料館発行のブックレット「棒道の本」参照 |
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棒道沿いの石仏は、番号順にはなっていません。持ち去られたのか?番号が飛んでいたり、無くなってしまった石仏もあります。無くなってしまった石仏は、西国三番と西国十四番です。そして棒道から離れた場所に立っている石仏もあります。それは、西国六番と西国七番です。西国二番→西国一番→西国三番(1996年撮影者あり、以後不明)→西国五番→西国八番・九番→西国十一番→西国十二番→西国十三番→西国十四番(1999年3月現在不明)→西国十五番→西国十六番→西国十七番→西国十八番→西国十九番→西国二十番→西国二十一番→西国二十二番→西国二十三番→西国二十四番→西国二十五番→西国二十七番→西国二十八番→西国二十九番→西国三十番→西国三十一番→西国三十二番→西国三十三番 西国六番と西国七番は、今回歩いた場所から離れた場所に有りました。 |
坂東一番→坂東二番→坂東三番→坂東四番→坂東五番→坂東六番→坂東七番→坂東九番→坂東十番→坂東十一番→坂東十六番 |
西国一番から三十三番までの石仏一覧 | |||
西国一番 如意輪観音坐像 |
西国二番 十一面観音立像 |
西国五番 千手観音坐像 |
西国六番 千手観音立像 |
西国七番 如意輪観音坐像 |
西国八番 十一面観音立像 西国九番 不空羂索観音坐像 |
八達衛神 | 西国十一番 馬頭観音坐像 |
西国十二番 千手観音立像 |
西国十三番 如意輪観音坐像 |
西国十五番 十一面観音立像 |
西国十六番 千手観音立像 |
西国十七番 十一面観音立像 |
西国十八番 如意輪観音坐像 |
西国十九番 千手観音立像 |
西国二十番 千手観音立像 |
西国二十一番 聖観音像 |
西国二十二番 十一面観音立像 |
西国二十三番 千手観音立像 |
西国二十四番 千手観音立像 |
西国二十五番 千手観音立像 |
西国二十七番 如意輪観音坐像 |
西国二十八番 聖観音立像 |
西国二十九番 馬頭観音坐像 |
西国三十番 千手観音立像 |
西国三十一番 聖観音坐像 |
西国三十二番 千手観音立像 |
西国三十三番 十一面観音立像 |
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坂東一番から十六番までの石仏一覧 | |||
坂東一番 十一面観音立像 |
坂東二番 十一面観音立像 |
坂東三番 千手観音立像 |
坂東四番 十一面観音立像 |
坂東五番 十一面観音立像 |
坂東六番 聖観音立像 |
坂東七番 聖観音文字塔 |
坂東九番 千手観音坐像 |
坂東十番 千手観音坐像 |
坂東十一番 聖観音立像 |
台座のみ | 坂東十六番 千手観音坐像 |
昔の武将も旅人も見たであろう八ヶ岳と南アルプスの山々 |
晩秋の八ヶ岳と南アルプス |
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