イラスト 「八ヶ岳歩こう会」「八ヶ岳自然クラブ」のメンバーです。
タイトル
2002年12月05日 「海から一番遠い地点」へ
参加者は14名 ここは長野県臼田町です。
日本国内で「海から一番遠い地点」はどこでしょうか、北海道旭川?帯広あたり?いえいえ、思いがけないところにあったのです。このウォークは6月に一度企画されましたが豪雨の為、中止されました。今回、会員の皆さんからリクエストがあり、Mさんが動いてくれました。コースリーダーは、左上の女性です。今日は暫くぶりに、歩こう会の皆さんと一緒に最後まで歩いてみました。まだまだ捻挫した足が心配で、以前のように早くは歩けません(涙)。でも一緒の仲間がいい方ばかりなので愉しく歩けました。時間の余裕がありましたので「新海三社神社」にも寄ることが出来たのです。最後は、「海から一番遠いすし屋というキャッチフレーズが人気のすし屋さん」で満腹に!行き帰りの車で一緒になった仲間が面白い方ばかりで笑いっぱなしでした。それではレポートをご覧下さい。
朝起きて外を見ました。我が家から素敵な景色が見えたので今日は最高のウォーク日和?とワクワクしながら出掛けました。集合は野辺山駅AM9:00です。目的地まで車で移動を致します。スタッドレスタイヤを履いている車四台で臼田町へ向かって走ります。私が乗せて頂いた車には八ヶ岳歩こう会の中でも話が面白い○本さん、○中さんご夫妻です。車の中は漫談家がいるみたいでした♪♪♪
町営保養センター 湖月荘 
ここから歩き出します。準備体操を平井さんのリードで玄関前にて行いました。約1時間ほど山道を登ります。戻ってから此方の温泉に入って疲れをとります。
歩き始めは砂利道でしたが、だんだん山道に!かなり急な登りです。汗が噴き出します。ここは雨が降ったら川になってしまうのでしょうね?
右側に白い柱が見えますか?ここが「日本で海岸線から一番遠い地点」の柱です。登りが急だったので先頭と最後の差が出来てしまいました。先頭は一息入れています。
「日本で海岸線から一番遠い地点」から10分?ほど山に向かって登れば県境になります。皆さんがいる場所には杭があります。長野県と群馬県の県境です。頑張って歩いてきたので感激!
お弁当を仲良く「日本で海岸線から一番遠い地点」で食べました。じっとしていると寒くなりますから早めにお弁当を済ませ下山します。登りに約1時間かかりましたが下りは皆さん早かったですね〜。
下りには十分気を付けて降りましたからラストになりました。今の私には、この位で丁度良かったです。これ以上ハードでは無理だったかも知れません。今日は、此方の温泉にゆっくり入って足を労ってあげましょう。一寸だけ踝が膨らんでいましたが温泉の効果があって翌日も痛くも成らず助かりました。リハビリウォークも次の段階へ進めるかも知れません。
湖月荘から次に向かったのは、新海三社神社です。この大きな鳥居をご覧下さい。
参道途中にある木々の太いこと。ご神木でしょうね?(ケヤキ)立派な木ですよ、大人が5人掛かりでないと無理な太さです。反対側にも同じ太さのケヤキが立っていました。
参道も立派です。若い時に何も感じなかった神社仏閣が最近好きになりました。私も少し大人になったのでしょうか(笑)。これからもこのような場所を大切に保存をして欲しいと思います。
三重塔(重要文化財)…新海三社神社の神宮寺の塔として建立され、明治維新の排仏毀釈(はいぶつきしゃく)の際には、神社の宝庫として破却をまぬがれた。風鐸の銘により永正12年(1515)の建立と考えられる。様式は和洋を主としながらも随所に禅宗様が取り入れて居り、初重と二三重の垂木の方向の違いなどにそれが見られる。
東本社(重要文化財 室町時代)…御祭神は建御名方命(たけなかのみこと)の御子「興波伎命」(おきはぎのみこと)命は佐久地方開拓の祖神(おやがみ)として崇敬され、蔓事、蔓物の新生、形成、発展、探求にあらたかな御神徳をそなえられて居られる。向拝頭貫(ごはいかしらぬき)の木鼻が動物形を意図してること。母屋頭貫(おもやかしらぬき)の左右の木鼻の笹の葉の薄肉彫りがあるところ等に特徴が見られる。
新海三社神社の裏側を散策してみました。朽ち果てた蚕神社や歴史を感じる風景を見ることが出来ました。
新海三社神社東御陵(平成7年9月末日復元)が二つありました。この上にも探検したいような散策路が有ったのです。それは次回のお楽しみとしましょう。車に乗って次の目的地へ
五稜郭であいの館(写真なし) 車窓から外観を見ました。
最後は参加者全員で「海から一番遠いすし屋、と均鮨」へ行きました。場所は臼田町駅近くだそうです。車で来ましたので土地勘のない私には場所の説明が出来ません。海から一番遠いすし屋というキャッチフレーズが人気のすし屋さんです。
 
新海三社神社…佐久地方開拓の祖神。「興波伎命」と御父神「建御名方命」(諏訪さま)、御伯父神「事代主命」(恵比寿さま)、「誉田別命」(八幡さま)の四神をまつる佐久三庄三十六郷の総社である。古来、武将をはじめ人々の崇敬あつく、源氏、足利氏、田口氏、武田氏、徳川氏、大給子らが社領寄進、神殿修理再建等を沙汰している。わけても源頼朝は、源氏の祖神「誉田別命」をまつるべく沙汰し、甲斐源氏の流れをくむ武田信玄は、永禄八年(1565年)上州箕輪城攻略の際、戦勝祈願文を奉り見事勝利を収めている。三重塔は、(嘉祥二年〜八四九年)、東本殿(室町時代、信玄再興)は、重要文化財、御魂代石は、重文指定申請中。
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