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「八ヶ岳歩こう会」「八ヶ岳自然クラブ」のメンバーです。 |
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稗之底村址探訪ウォーク 2004年9月27日(月)雨 8km |
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昼食はヨドバシカメラさんで 全員集合(写真提供・一番手前Mさん) |
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東出口湧水地にて ウォーク参加者19名・温泉参加者1名 合計20名 |
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大山祇社には土俵が! 八ヶ岳歩こう会 お笑い一座の土俵入り♪♪♪ |
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私がコースリーダになると何故か?雨降りが多い。前日の天気予報でも一日雨のマークとなっていた。その為か?申し込みのあった方よりキャンセルの電話が何本か入りました。雨も自然現象ですから仕方がない。ウォークは特別の場合以外、雨天決行です。それでも問い合わせが来ます。朝、迷っていた方より不参加のTEL。晴れだったら参加していた方かも知れない6名。そんな電話の後では気が重い。雨だから参加者が少ないと思っていました。時計を見ると時間がない!急いで富士見高原・鹿の湯駐車場へ車を走らせました。なんと駐車場で集合している皆さんを見た途端ビックリ!大勢の歩こう会の仲間が待っていてくれたのです。何だか嬉しくなって胸がキューンとなりました。コースを歩いている間、雨は降り続いていました。ところが鹿の湯に到着した頃には雨は止んだのです。何と神様は意地悪がお好き?空が明るくなってガックリ!もう少し早くお天気になってくれたら嬉しかったのに〜。帰る途中、甲斐駒ヶ岳が顔を出してくれました。今日は、雨降りウォークでしたが素敵な仲間と楽しく歩けた思い出に残る一日でした。デジカメのレンズが雨で濡れてしまい、お見苦しい画像もあるかと思います。お許し下さいね。参加して下さった皆さんに早く報告をしたくて今日のウォークをまとめてみました。 |
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水路沿いに歩きながら、富士見町の歴史と自然を堪能するハイキングコース。 |
まず、富士見高原・鹿の湯駐車場から数台の車に乗り合わせ立沢Aコープに向かう。ここに車を置かせて頂く。ほど近くに大山祇社がある。ここは元々小さな祠に祀ってあったが、武田信玄が棒道の往復をする際に山路の平穏を祈って三島神社から分霊し合祀した祇社だ。立沢道祖神を左に見ながら進路を南西へ。砂利道に変わり畑地帯をすぎると稗之底廃村址地入り口が見えてくる。稗之底村は文献に残っていない謎の部分が多いミステリースポット。少し足を進めると稗之底村の産土神・大先神社があり、当時の面影を見ることができる。西出口湧水地、乙事滝澤ため池、東出口湧水地と八ヶ岳の雪解け水が湧きだしている水路沿いをせせらぎと野鳥のさえずりを聴きながら歩く。稗之底村跡自然探索路から富士見高原別荘地の建物を見ながら砂利道をしばらく歩くとヨドバシカメラの施設です。ここで昼食、トイレ休憩。その後、武田信玄が作った古道棒道を歩いて富士見高原・鹿の湯駐車場に到着。ここで一般参加者は解散、運転手の皆さんと立沢Aコープに車の引き取りに行く。ウォーク後は、そのままお帰りになるも良し、疲れを鹿の湯に入ってノンビリくつろいでからお帰りになるのも自由です。利用料金は500円。 |
富士見高原・鹿の湯駐車場(車で移動)〜立沢Aコープ〜大山祇社〜千ヶ沢橋〜稗之底村址地入り口〜西出口湧水池〜大先神社〜乙事滝澤ため池〜東出口湧水地〜富士見別荘〜ヨドバシカメラ〜古道棒道〜富士見高原・鹿の湯駐車場 |
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大山祇社に到着です。 | 大山祇社 |
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千ヶ沢橋を渡りました。 | 稗之底村址地入り口 |
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大先神社に向かう途中。 | 大先神社への階段 |
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大先神社 | 急な階段で足下注意! |
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自然探索路ウォーク中 | 乙事滝澤ため池 |
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乙事滝澤ため池にカモが泳いでいた。 | 稗之底村の皆さんが利用していた水? |
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別荘がポツン、ポツンと・・ | 東出口湧水地 |
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人間が一人くぐれるくらいの穴が空いていたので何人かチャレンジ! | |
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ヨドバシカメラ下の逸見道? | ヨドバシカメラのパターゴルフ施設 |
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一番楽しみな時間、お弁当♪♪♪ | 古道棒道には、倒木が・・ |
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くぐったり、股いたり、楽しんで♪ | 沢を渡ったり・・ |
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武田信玄が歩いたと思われる古道棒道 | 佛供石をグルッと一回り |
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佛供石の上には石仏が手を合わせて! | 信玄棒道の出口に向かいます。 |
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富士見高原・鹿の湯に到着。 | 帰る途中、甲斐駒ヶ岳が・・ |
富士見町指定史跡 稗之底古村址 稗之底村(ひえのそこむら)は、境方十八ヶ村に数えられる古村でした。「諏訪郡諸村並(ならびに)旧蹟年代記」(筆者不明幕末)に引用される天性十八年(1590)の「諏訪郡御検地御高帳」に高三十六石三升と記載され、僅かな田畑を耕して生計を立てていたが、ついにこの地を捨てて去らざるを得なくなった。その厳しい状況を、後の文書では「右稗之底村ノ儀、八ヶ嶽下ニテ地所至ッテ寒ク、作毛生イ立チ兼ネ、其ニ上野山伐リ尽クシ渡世難儀仕リ、正保年中立沢新田へ引越シ、其ノ後明歴年中以前ノ村方へ罷リ帰り家作仕リ候得共、前諸ノ通り渡世仕リ難ク候ニ付キ、乙事村へ引越シ住居仕リ中馬稼ギ等仕リ候」と記している。これは宝歴十三年(1763)中馬紛争に関する幕府普請方の産物改めが行われた際に、乙事村の役人が差し出したものである。稗之底村を放棄した村人が立沢村・乙事村に移住したことは、書面で明らかである。また、伝承によれば植松姓、北原姓、五味姓(一部)は稗之底より移住したという。ちなみに、このとき移転したという明歴二年(1656)銘の六地蔵石幢が乙事に現存する。こんにち跡地は埋もれ、特定するのは困難であるが、大先神社・屋敷平・稗之底の地名を残している。(富士見町教育委員会資料参照) |
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