「八ヶ岳歩こう会」「八ヶ岳自然クラブ」のメンバーです。
タイトル
わが町発見シリ−ズ・がんまるさんと逸見街道 2005年10月2日(日)晴れ
小淵沢TMO主催 八ヶ岳歩こう会全面協力 参加者27名?(写真提供・座頭市さん)
今年で3回目になる「八ヶ岳の民話を歩く・小淵沢編 がんまるさんウォーク」私の住んでいる町の民話を元にしたウォーキングです。今までなかなか参加できずにいたが、やっと本日参加することが出来ました。「がんまる」は、幼少の頃の名だそうです。小淵沢に伝わる民話「がんまくさん」は、北野天神社に伝わる話、主人公になった「がんまくさん35代目」は、神社の近くにお住まいだそうです。その昔話とは、むかし北野天神社の神主の家に大力のある男がいた。村人は何ごとも恐れないでする人、つまり「がんまくさん」と、よんでいた。この男が大力持ちになったのにはわけがあるのです。ある日この男が松木坂を通りかかると、一体の石像が半ば土に埋れて倒れていた。みると、摩利支天の石碑であったので起こしてやって立去った。帰りに再びここに通りかかると、一人の若い女が赤児をだいて人の来るのを待っている様子である。男が近づくとその女が「ちょっと用事に行ってくるので、この児をしばらくだいてくれ!」といって、赤児を男に渡して姿を消した。はじめは軽い赤児が次第に重くなり、よわり果てて草むらへおろそうとしたとき女が現われ、お礼に大力を授けようと言って近づいてきた。男が赤児を渡そうとすると女は再び姿を消した。不思議に思ってだいている赤児を見ると、それは大きな摩利支天の石碑であったという。この男は大力を授けられて近郷にない大力持ちになったという。ある日この男が山道を歩いていると、追剥(おいはぎ)にあい金を出せと言われた、男は「まて、たばこを一服吸ってから…・」と言って、大木を曲げてそれに腰を掛けてタバコを吸いだした。追剥もその片方に腰をかけて持っていたが、男が突然立ち上ると大木がはね上がり、追剥はその勢で空に舞い谷底に落ちてしまったという。大木を曲げる大力が身を助けたのである。この男は常に杖のかわりに鉄棒をついて歩き、その地響きは村中に響き渡り、がんまくさんが来るとおそれられていた。神社の鳥居を建てることになり、村中の者が総がかりで二基の柱を建てたが、日暮れになったので笠石は明日あげることにして解散した。明朝、村人が集まってみると笠石はあげられ、鳥居は見事に仕上っていた。これは、がんまくさんが一人で一晩のうちにあげたものであるという。今日は、甲州街道の脇街道として賑わった「逸見街道」を歩きました。藪になっていた道を主催者の皆さんが鉈や鋸で道を切り開き、なんとか開通させ、歩けるようにしてくれました。旧松木坂から北野天満宮入り、がんまる弁当を頬張り、お神楽を見物。小淵沢の歴史を学び、旧松木坂も歩け、新しい発見もあり、収穫の多いウォークでした。
小淵沢駅〜蔵通り〜郷土資料館〜(車)〜松木坂・国堺〜逸見街道〜北野天神社
小淵沢商工会の小宮山さんからご挨拶。
小淵沢では物知りの細川金物店のご主人にこの辺りに住んでいらっしゃる旧家の説明をして頂きました。昔、小淵沢はマユを近隣から預かっていたそうです。お米もその他家財を火災から守るために蔵は必要でした。この辺りの旧家にはその蔵が残っています。
こちらのお庭、とても立派ですね、家の中には入れませんでしたが素晴らしいそうです。
今日は、気温がどんどん上がり暑かったです。ニュースでも夏日になった東京の町の様子が流れていました。
郷土資料館
旧平田家住宅(いろりの家)
17世紀後半の建築とされ、当時の生活様式を偲ばせる要素を数多く残し、学術的にも貴重な住宅とされています。
国指定重要文化財
囲炉裏
小淵沢教育委員会の方が平田家の説明をして下さいました。
絵本作家松村雅子さんによる「がんまるさんの物語」
素晴らしい語りに皆さんウットリ。
旧平田家住宅(いろりの家)
昔懐かしい道具や生活必需品が並んでいます。
小淵沢駅〜蔵通り〜郷土資料館〜(車)〜松木坂・国堺〜逸見街道〜北野天神社
絵本作家、松村雅子さんによる「がんまるさんの物語」をお聞きしたあとは、ウォーキング。今回はウォーキングコースも変えて旧松木坂を歩いて最終目的地の北野天神社へ向かいます。
主催者小淵沢TMOのスタッフです。ここは松木坂、道路を横断します。交通量が多いので交通整理!
甲州街道の脇街道として賑わった「逸見街道」です。
なんと、途中で薬草茶のサービスがありました。我が家の近くに「薬用植物園」があります。そこで長い間、お勤めされていた方のお宅です。最近、薬用植物園に行っておりませんでした。お辞めになったとは・・。以前、ポレポレクラブで薬用植物園に行きました。園内の説明をして下さった方がAさんでした。2001年6月3日「薬用植物園から大滝湧水ウォーク」
赤ちゃんを背負って私達に温かい野草茶を振る舞って下さいました。ご主人は、森林インストラクターです。以前、森の話を聞かせて頂きました。家を建てるなら木材は外国の木材ではなく、高くても国内の木材を使って建てる。今、国内の森が後継者不足で荒れているそうです。農業も後継者不足になっていますが、森林を持つ方の後継者も居なくなっているそうです。魅力がないからでしょうか?木は私達人間にとって大切なものです。日本人が自分の住んでいる森を大切にしないと将来大変なことになるかも?
山にも詳しい細川金物店のご主人が八ヶ岳の木が深刻な事態になっていることを話してくれました。鹿やカモシカが増えて森林が荒らされているとのこと。このままにしておくと八ヶ岳の森林は駄目になってしまうと警告!
逸見街道から松木坂の道路に出ました。「あーぁ、ここに出るのね、一つ道を覚えました。」
蔵通りに戻ってきました。
この建物は、大正時代の銀行だそうです。機会が有ったら中に入ってみたいものですね。
真っ青な空に浮かぶ白い雲・・。
青い屋根が「がんまくさん35代目」のお宅です。
北野天神社に到着。お神楽が始まっているようです。
今日のお昼は、がんまるさん弁当(ペットボトルのお茶、おにぎり二個、漬け物、とりの唐揚げ)その他には、北野天神社の氏子さん達から「おでん」と「甘酒」を頂きました。おにぎりが大きいので二つは食べきれず持ち帰りました。ご馳走様!北野天神社の片隅で大和神楽」を堪能。4時までいれば「破魔矢」を頂けたそうですが用がありましたので途中で帰りました。
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北野天神社 大和神楽 小淵沢町指定無形文化財
北野天神社の神楽殿で毎年10月に行われる大和神楽は、亨保年間(1716〜1736)の例祭日に奉納されたのが始まりとされる由緒ある神楽です。当時は、神前の庭に青竹を四隅に立て、しめなわを張った祭場で舞っていましたが、明治時代に神楽殿を建立し、祭事として定着するようになりました。磐戸の古式をそのまま伝承した、優雅さと力強さをもつこの古典的舞いは、民族芸能として高い価値を持っています。
天の岩戸伝説の神楽・・・
須佐之男命の登場・・・
〜おまけ〜
ご神酒を頂きながら北野天神社の大和神楽を楽しむ参加者(写真・座頭市さん)

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