イラスト 「八ヶ岳歩こう会」「八ヶ岳自然クラブ」のメンバーです。
タイトル
2000年11月28日
「甲斐七福神めぐりウォーク、大黒天・布袋尊編」
今日のコ−スは「わが町再発見シリ−ズ」の「長坂町編第2回」でもあり、「甲斐七福神めぐり」の第4回、「大黒天・布袋尊編」、でもあります。
様々なテ−マを持ってウオ−キングすることは大脳にちょっぴり知的刺激も加えられ、日頃使っていない脳の筋肉(?)の運動ともなって、まさに全身運動であるウオ−キングの効果倍増です。 
今回は趣を変えて、八ヶ岳歩こう会事務局の多賀さん(P.ペアハットのオーナー)にコメントをお願いしました。大きな文字は多賀さんのコメントです。

さあ〜、それではいつものように準備体操をして・・・
今日もウォーク日和です。清里や小淵沢は良く歩きますが、長坂町を歩くのは初めての体験です。駅から民家の中を通り清光寺に向かいます。
清光寺のかなり急な階段を上ります。「ここから落ちたら怖いなぁ〜」「一歩一歩気をつけてっと!」「上の人が転けたら一緒に転けちゃう〜!」「そうなったらイヤだわ。」ブツブツ・・・。
本堂の中に入りました。「こんにちわ〜、誰かいませんか〜?」「し〜〜〜ん」
清光寺に付いてのお話を聞く会員の皆さん

今日は歩くというよりも長坂町のお寺や神社巡りです。ここも立派なお寺ですよ!皆さんもお時間があったら行かれてみては・・・。
布袋尊を祭る清光寺は甲斐源氏の祖・新羅三郎義光が孫「逸見(へみ)玄源太清光」によって1151年創建されました。樹齢250年ほどのしだれ桜があり、春はお花見で賑わいますが境内で異彩を放つのは「芥川龍之介」の句碑。「藤の花 軒端の苔の老いにけり」と刻まれています。郷土の誇る教育者「堀内柳南」が開いた「高原夏期大学」の講師として龍之介が呼ばれた時の句です。堀内柳南の長男がこの時の思い出を記録しています。
「教育会主催の歓迎会に出席するために、清光寺の本堂の横を通ろうとしたところ、大人のこぶし大のガマガエルが5,6匹待ち構えるようにして山道にいた。それを見た龍之介は大きな叫び声を上げて、その場に立ちすくんでしまい、なかなか前に進もうとしない。その時の龍之介の様子が強烈な印象として残っている」今から約80年ほど前のことでした。今、長坂町郷土資料館では「堀内柳南展」が開かれています(2001・5・13マデ 電話/0551-32-6486)
八幡大神社のご神木があんまり立派なもので、どのくらい太いかを計ることにしました。男性4人に手をつないで貰いました。樹齢何百年になるのでしょうか?人間ががんばっても100年ちょっと!ケヤキの木は長生きです。
次のお寺まで木漏れ日の中を歩きます。でもこの道もまもなくアスファルトになるみたいです。散歩道がどんどん無くなってしまうのは悲しいことです。車社会とはいえ自然はすぐに造れません。何とか成らないものでしょうか?
散歩道を出たところに道標がありました。刻まれている字を見ると、諏訪の文字が・・。車のない頃はこの案内を見て諏訪まで歩いて行かれたんでしょうか?健脚ですね。車は便利ですが、なるべく歩きましょう。此の道標の右側にお地蔵様が並んでいました。
その、お地蔵様です。写真ではお顔がよく見えないと思いますが何とも言えない優しいお顔なんです。(小さなお地蔵様)車では曲がり角なのでアッという間に通り過ぎてしまうところです。皆さんも何時か歩いて行って見てね!
他のお地蔵様と、お顔が少し違う様な気がします。一寸、皆さん!良く見て下さい、このお地蔵様は何か語り始めましたよ。「・・・・・・・・」「・・・・・・・・」「・・・・・・・」かっこの中に言葉が浮かびますか?お話しをしてみて下さい。
妙林寺に向かいます。畑の中の参道を入ると・・・。
綺麗なバラが咲いていましたので足を止めました、思わずシャッターを!何ともいえない色ですね。
この中には山梨県指定有形文化財「木造薬師如来座像」が納められている。この像は(坐高0.84メートル)その頃の本尊と見られている。

 大黒天を祭る妙林寺は甲斐七福神を祭る寺院の中で最も古く、創建は720年。天台宗を改め曹洞宗として今に至る。お寺の来歴を調べるとどのお寺も必ず途中で宗旨を改めているようですが、どうしてでしょう?復興や再建の為に招いた和尚の宗旨によってころころ変わるのはいいとしても、その都度檀家の皆様も宗旨を変えていたのでしょか?つまりは、日本人は昔からあんまり宗教に関心がなかったのでしょうね。 

「蝉鳴いて 幼なき頃の 八ヶ岳」
妙林寺でお昼に致しました。お弁当を食べていましたら、お寺の方が戻られ、少しお話しをしました。妙林寺を後にして次の所まで歩きます。まだ少し紅葉が残っていましたから、景色も楽しみながらの散歩道です。ここも後少ししたらアスファルトです。
今日はお寺巡りなので厳粛な気持ちで歩きます。
林を抜けると見晴らしの良い道に出ました。八ヶ岳がとても綺麗で歩くのが気持ちいい。
その八ヶ岳に向かって歩きます。
次は妙要寺に参ります。
妙要寺には1本の百日紅(さるすべり)の木があります、三代目だそうです。八十八夜から数えて百日目に花が咲くのでその名がついたといわれます。
稲の花は八十八夜から百十日めに咲くそうですが、一足早く咲く百日紅の花で稲作の豊凶を占ったそうです。
水神際とよばれる8月18日の祭りの日、人々はどんな気持で百日紅の花を見たことでしょうか。
何の花だと思いますか?

これは桜! ホントなんです。お庭に咲いていました。
10月桜という桜だそうです、桜といえば春ばかりと思っていました。
可愛い珍念さんがお掃除していましたよ。
此方のお寺には沢山のお地蔵様が・・・。
思わず手を合わせます。
困ったときばかり手を合わせる不届きものの私をお許し下さい。すみません!
お花はまだ新しい。
お参りに来た方が手向けてくれたんでしょうね。
雑念を祓いましょう。
貴方は何を願いますか?
宝くじが当たりますように!なんて言ってませんか?
妙要寺を後にして次に向かいます。
最後に穂見諏訪神社。
筒粥神事なども行なわれる町内一の人気神社ですが、ちょっとヘンなものを発見しましたので御報告を致します。
境内にある1本の石柱。皇紀弐千六百年と記されています太平洋戦争前の日本は神武天皇即位からちょうど2600年ということで、国威発揚に「紀元は2600ねん〜」という歌まで作られてさかんに歌われたそうです。戦前「八ケ岳会」というものがあって、紀元2600年記念として静岡県の海面を基点として身延線、中央線で小淵沢経由甲斐大泉下車、天女山経由で八ケ岳に登り、権現岳山頂近くの海抜2600米の箇所に至るまでの間標高100米毎に標識を立てる、という事業が行なわれました。「世界民族の精神的統一の中心を八ケ岳に置く」という気宇壮大なものでした!この石柱が現在「八ケ岳の石柱」と呼ばれ、郷土の歴史研究家達に注目されておりますが、穂見諏訪神社の石柱もそうではないか、と思われるのです。既に幾つか発見されているものよりかなり背が高いのですが、神社の境内だけに特別のものが設置されたとしてもおかしくありません。ま、それは今後の研究の成果をまつこととして、今日は充分わが町再発見の旅を楽しんだウオ−クでした。
境内にある1本の石柱。皇紀弐千六百年と記されています
このページのトップへ

きママなウォーキングへ戻る