イラスト 「八ヶ岳歩こう会」「八ヶ岳自然クラブ」のメンバーです。
タイトル
戸隠ハイキング 奥社・中社・宝光社巡り 2003年7月2日
小淵沢高原〜斑尾高原〜(約1時間)〜戸隠高原〜斑尾高原〜小淵沢高原
奥社
九頭龍社
御祭神 九頭龍大神
    (くずりゅうのおおかみ)
御本社
御祭神 天手力男命
    (あめのたちからおのみこと)
高い山や巨木や巨岩に霊が宿るという信仰は、日本古来の神道にありました。奥社に向かう途中の参道の両側は、うっ蒼と生い茂る杉並木で、かつての修験道の大講堂屋敷跡や院坊跡の礎石が苔薫して往時の姿を偲ばせていました。若いときには神社仏閣を見ても感激や感動がなかった私ですが、歳を取ってから興味が出てきたのは年齢のせい?かも知れません。
戸隠高原 奥社参道の杉並木には、圧倒されました。(樹齢は?)
戸隠神社は、御本社奥社・九頭龍社・中社・日の御子社・宝光社の五社からなっています。太古の昔より水の神として信仰されてきた九頭龍大神(くずりゅうのおおかみ)と、古事記上巻の岩戸開きの段でご活躍された神様方がお祀されております。平安時代から修験道が行われ、日本有数の霊地として知られていたようです。縁起によると学問行者が修験を始めた年代を嘉祥二年(849年)頃としていて、これが戸隠寺(奥院)の起源になったといわれている。その後200余年を経て康平元年(1058年)に宝光院が、さらに寛治平年(1087年)に中院が開かれたそうです。明治初めの神仏分離により寺を廃し、奥院・中院・宝光院をそれぞれ奥社・中社・宝光社と名称を改めた。中世には戸隠山は、武田、上杉の争乱に巻き込まれ、甲越両軍の戦略によって絶えず危難に脅かされていたので、三院の衆徒らは一時、大日方氏の領内水内小川の筏が峰へ(現小川村)に移り、約30年の歳月をここで送った後に戸隠山へ帰った。武田、上杉の戦いで巻き込まれた人達の苦労は大変だったことでしょう。この戦いは今でも語り継がれているほどです。修験の山の旧態がなお良く保存されている奥社・中社・宝光社及び筏が峰三院跡(奥院跡・中院跡・宝光院跡)が史跡指定となっています。(参考・長野県教育委員会資料)

駐車場へ車を止め、奥社まで行ってみることにしました。ここから真っ直ぐに参道を歩いていけば、往復約1時間半ほどで戻ってこられるそうです。入り口→大鳥居→随神門→奥社
大鳥居から参道を歩いても良いのですが、大鳥居の手前に遊歩道があり、森林植物園からも奥社に行かれそうなので散策を楽しみながら歩くことにしました。
新しい看板標識、戸隠森林植物園案内図。植物園は一周すると約2時間ほど掛かるようです。今日の私達は、奥社に行きたいので大鳥居から参道を歩かず、植物園周りで随神門へ
まだ新しい木道です。バリアフリー歩道は、車いすの方でも利用できるようですよ。湿原の植物を観察しながら歩きます。ミズバショウの群生地も有りました。花は終わってありませんでしたが5月から6月に来ると見ることが出来るようです。
巣箱の中から雛の声がしていましたよ。植物園内は多種類の高山植物が自生し、バードウォッチングや森林浴を楽しむことが出来ます。散策を楽しみながら野鳥の囀りも聞こえ、体も心も癒されます。
散策路では、右のような曲がった木が沢山あり不思議でした。風の強い場所では幹や枝が傾いている姿を見かけますが、神の力でしょうか?そんなことは無いと思いますが一本や二本でなくて何本もあったのです。どうして曲がったのか、わけを知りたいですね。
植物園を30分ほど歩いて奥社参道方面へ向かうと「随神門」に到着。森林植物園遊歩道は左側です。この建物は歴史の風情を感じさせる藁葺き屋根の「随神門」。左右に右大臣、左大臣が控えています。でも、かやぶき屋根は雑草が伸び放題になっていました。床屋さんが必要かも知れません(笑)。
奥社院坊跡
奥社随神門(旧仁王門)の内側道路左右にある嘉祥三年(850年)以来戸隠権現に奉仕した院坊の跡が有りました。明治維新後神社となり国有境内になったため、ここにあった院坊は中社、宝光社に住居を移したそうです。修行者達の宿泊施設を「坊」という。
今回この杉並木を見たとき感動。スケールの大きさに圧倒され、暫く動かず見上げるだけでした。
杉並木の参道を気持ちよく歩いています。このまま奥社まで続いていると思っていたのです。考えが甘かった!絶景なる杉木立を過ぎた後には、心臓やぶりの急坂に石畳の階段が奥の院まで続いていたのです。もう大変でした。急な坂は無いと思っていたものですから、ストックを車に置いてきてしまったのです。ここまで歩いてきたのでもう引き返すわけにはいきません。普段歩いていない誰かさんは、辛かったようです。夜には湿布薬が大活躍。(涙)
〔九頭龍社〕

御祭神 九頭龍大神
     (くずりゅうのおおかみ)
御神徳 五殻豊饒、雨乞い、虫歯治癒
日本神話で名高い天照大神(あまてらすおおみかみ)が、天の岩窟に隠れたとき、無双の神力でその岩戸を開けたといわれる天手力雄命(あまのたじからおのみこと)が御祭神です。奥社は何百メートルもの断崖の真下に建てられていて、その昔、修験者の霊場だったことを深く物語っています。奥社の建物を見上げると木々の間から戸隠連峰が・・。
〔奥社〕

御祭神 天手力男命
     (あめのたちからおのみこと)
御神徳 健康長寿、家内安全、営業隆盛岩戸を飛ばした強力開運の神様「天手力大神」。

御祭神は、天照大神が岩窟に隠れたとき岩戸をあけるために神楽を奏することを考案したという知恵の神、天八意思兼命(あまのやごころおもいかねのみこと)。御本社(奥社)に相殿として奉祀されていたが、宝光社との中間の位置に寛治元年(1087年)に分祀奉斎されて、今日に至っている。学業成就、商売繁盛、開運、家内安全などの御神徳があり、聖地戸隠詣でのなかではいつも多くの参拝者で賑わっている。
〔中社(ちゅうしゃ)〕

御祭神 天八意思兼命
     (あめのやごろおもいがねのみこと)
御神徳 学業成就、家内安全
境内には樹齢約900年に及ぶ天然記念物の三本杉。

杉の古木の中を200段あまりの石段を登ると両部新道当時の面影を残した社殿があり、その荘厳さに目を見張る。奥社と中社が天災などで消失、再建されたのとくらべると神仏混淆時代のなごりをとどめた建築様式や彫刻などの造りの見事さで貴重なものとされている。
御祭神は、中社の御祭神の御子神様天表春命(あまのうわはるのみこと)で、技芸、安産、厄除け、家内安全などの御神徳があり、多くの信者の信仰を集めている。中社と同じく、御本社に天暦3年(949年)より相殿として奉祀されていたが、奥社より6キロの現在地に康平元年(1058年)に分祀奉斎されて、今日に至っています。
〔宝光社(ほうこうしゃ)〕

御祭神 天表春命
     (あめのうわはるのみこと)
御神徳 厄除け、開運、家内安全
宝光社と中社の間にある神社。
(今回行っておりません。)写真なし
〔日之御子社(ひのみこしゃ)〕
御祭神 天細女命(あめのうずめのみこと)
      天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
      たく幡千千姫命(たくはたちちひめのみこと)
御神徳 舞楽、芸能

奥社へ行く間に出会った植物です。名前が分からずに調査中の植物もあります。
ヤグルマソウ ノコンギク カラマツソウ
ユキノシタ オオバギボウシ
ヒメアオキ ガクアジサイ
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