「八ヶ岳歩こう会」「八ヶ岳自然クラブ」のメンバーです。 | |
山梨県 塩山 枯露柿(ころがき)の里 2003年11月25日 塩山駅→旧高野家住宅「甘草屋敷」→「向嶽寺」→「恵林寺」→「放光寺」→ころ柿の里→塩山駅 |
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甘草屋敷(旧高野家住宅) | 甘草屋敷の枯露柿(ころがき) |
塩山は、秩父山系の山々や温泉、古寺名刹や歴史文化遺産が多く残っています。冬が近くなる頃には軒先に枯露柿(ころがき)が吊される風景は素晴らしいとの事。見に行かれた人は皆、感激するそうですよ。9月に訪れたときは柿も色づき始めたばかりでした。11月は、「ころ柿」の写真を撮るために多くの写真家が訪れます。今日、「ころ柿の里」を一人で歩いてきました。八ヶ岳歩こう会の特別ウォークが11月16日(日)行われましたが、私は残念ながら参加できなかった。仲間の皆さんより一週間遅れです。生憎の雨降りでシートの中だったり軒先の「ころ柿」だけしか見られませんでした。でも人が少なかったのでノンビリと回る事が出来ました。思い切って出掛けてきて良かった!充実した時間を過ごせました。。でも歩き出しが遅かった為、コースを回って塩山駅にたどり着いたときは真っ暗になってしまったのです。今日は一人でしたので裏道は歩きませんでした。9月25日(木)に下見で歩いたのが役に立ちました。記憶を辿りながら歩きました。雨の一人ウォーク「ころ柿の里」編になります。レポートをどうぞ! |
甘草屋敷13:30→向嶽時〜恵林寺〜放光寺〜「ころがきの里」〜甘草屋敷17:00 |
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◆甘草屋敷(かんぞうやしき)旧高野家住宅)は、江戸時代後期の民家と屋敷構えをそのままに歴史公園として活用しています。当家は、八代将軍吉宗の時代に薬用植物の甘草(カンゾウ)を栽培して幕府に納めていた事から「甘草屋敷」と呼ばれている。茅葺き(現在は銅板葺き)、切妻造の屋根の中央には二段の突き上げ屋根が設けられているのが大きな特徴。この部分は、養蚕の際二階、三階の作業への明かりとりと煙出しのためだそうです。 ◆塩山 向嶽寺(えんざん こうがくじ)は、富獄(富士山)に向かう寺という意味の名前を持つ。武田信玄公の八代前にあたる信成が開基、康歴二年(1380)抜隊得勝禅師により開かれたが、火災と復興の繰り返しで、現在に至っている。難を逃れて今も残る中門と左右に伸びる築地塀は、壮大な構えで、かつてのこの寺の隆盛ぶりを物語る。鎌倉時代の様式で描かれた国宝の絹本著色達麿図は「八方にらみの達麿」とも呼ばれる。 ◆乾徳山 恵林寺(けんとくさん えりんじ)は、臨済宗妙心寺派の寺で、元徳二年(1330)二階堂貞藤が夢窓国師を招いて開創。名高い禅僧が次々に入山し、甲斐に文化をもたらした。桃山期の四脚門は重要文化財。武田信玄の菩提寺であったが、天正十年(1582)武田氏滅亡の折、織田信長に焼かれて全てが灰に。その時炎上する山門楼上で快川国師は有名な「安禅不必須山水滅却心頭火自涼」(あんぜんからなずしもさんすいをもちいずしんとうめっきゃくすればひもおのずからずすずし)の偈を唱え、寺と運命を共にした。 ◆高橋山 放光寺(こうきょうざん ほうこうじ)は、平安時代の元歴元年(1184)鎌倉幕府の創立に尽力した名将・安田義定の創建、開山は賀賢上人。花の寺として知られ、初春の梅、四月の花桃、五月のボタン、六月の花菖蒲とアジサイは見事な美しさです。本尊の大日如来坐像、不動明王立像、天弓愛染明王坐像の三尊と、仁王門に安置されている金剛力士立像は国の重要文化財になっている。かつての迦藍は天正十年(1582)に恵林寺とともに織田信長に焼かれたが、徳川家康の援助で再建された。 (塩山市商工観光資料参照) |
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