イラスト 「八ヶ岳歩こう会」「八ヶ岳自然クラブ」のメンバーです。
タイトル
残雪の棒道ウォーク 2003年3月18日
春が待ち遠しい残雪の棒道 石仏の雪布団も溶け出して春はもうすぐ?

ふるさと発見シリーズ 第一弾 棒道編
八ヶ岳に住んでいても棒道を歩いたことが無いとおっしゃる方がいます。それでは時間の余裕がある時、私がご案内をすることにしました。今日が第一弾です。今日は四人のご婦人をご案内しました。棒道は、甲斐小泉駅から歩いても良いのですが、私達は三分一湧水から歩き出します。八ヶ岳が綺麗に見えていたので記念写真。
小荒間番所跡です。甲府から逸見路を経て小荒間を通り、八ヶ岳西麓を等高線沿いにぐるりと廻って立沢(長野県富士見町)へ通じる上の棒道に備えられた番所です。天文年間(1532-55)に出来たと言われており信玄の信濃攻略に大きな役割をもったとされています。
棒道とは、戦国時代の甲斐の武将・武田信玄が北信濃を攻めるために八ヶ岳の西の麓に軍用道路として作ったと、伝えられている道のことなんです。棒のように真っ直ぐ伸びていることから、こう呼ばれています。棒道橋を渡ると左側には観音様(31番・聖観音坐像)が旅人をお出迎え!だんだん棒道らしくなってきますよ。
雪が少し残っていました。フカフカの道は気持ちが良いですよ。雪がまだ残っているので足下に気をつけながら進みます。
ハードな上り下りはありませんが足下が滑りやすいので気をつけないといけません。そうそう誰かさんが、馬に乗って棒道を散歩したいと行っておりましたっけ!
棒道の中央に「板東10番・千手観音」、棒道には所々に観音様が安置されています。この観音様は武田信玄の時代から300年たった江戸時代の終わり頃に安置。小荒間村(今の長坂町小荒間)と谷戸村(今の大泉村谷戸)の有志がお金を集めて建立したそうです。旅人の安全を願って、棒道を整備し、1町(109m)ごとに観音様をおいて、道案内をする目的だった。当初は100体の予定だったが、西国は三十三までで、板東は十六番で終わってしまったようです。
棒道とは、戦国時代の甲斐の武将・武田信玄が北信濃を攻めるために八ヶ岳の西の麓に軍用道路として作ったと、伝えられている道のことなんです。棒のように真っ直ぐ伸びていることから、こう呼ばれています。この道の左側は、小淵沢カントリーです。冬はクローズなので鹿が遊びに来ているようです。春になると芝の緑が綺麗です。
火の見櫓に到着!こちらでお茶タイムです。コーヒー、お茶、ミカン、お菓子、ヨウカンで休憩、ご馳走様でした。
春の足音が聞こえ始めています。棒道の雪も後少しで消えることでしょう?
県境の橋です。川の名前は甲六川です。手前は山梨県、奥は長野県になります。皆さん一緒に記念写真を撮りました。
棒道から小淵沢カントリーのフェンスを曲がります。別荘から馬の道へ。この道はカラマツが多く新緑もいいのですが、秋には黄葉も楽しめます。それぞれの季節に歩きたい場所の一つです。
馬の道は、ウッドチップが引いてあります。クッションがあって足が疲れません。
お疲れ様でした。スパティオ小淵沢に到着です。木の向こうにに見える建物はスパティオ体験工房です。歩いた後に「延命の湯」は如何でしょうか?今日は温泉に入ってからお帰りになるそうですよ。以上、残雪の棒道レポートでした。棒道は今までも随分歩きました。2000年10月29日 2001年1月13日 1月24日 2月4日 6月28日 9月30日  2002年9月21日 10月22日 11月14日 2003年1月15日 3月18日
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