集合場所の高根クラインガルテンです。 本日の案内をして下さるのは「八ヶ岳歩こう会」の平井さん(写真)です。よろしくお願いします♪ |
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はい、それではいつものように準備体操を始めます。 皆さん、ずいぶん体が柔らかいですね〜。これって、結構きついウォーミングアップなんですよ!スポーツをする前後には体操が必要です。 体操をしないと後で一番つらいのは自分です。 |
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畑の道を歩き出しました。 お天気が今ひとつなので八ヶ岳の雄姿が拝めません、皆さんに想像していただきましょう。 今日は歩くペースが速いですよ。 |
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おどけてみせる「なおさん」、でも顔が隠れてしまいましたね! シャッターチャンスになりませんでしたが・・・、私へのサービス精神に感謝してUPです。 |
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「え〜〜何だ〜、変なところを写して〜」ではないのです。ここには以前、浅川兄弟のお家が建っていた所なんです。今は町の所有地になっているとか・・。このままでは無いと思いますが、いずれかは何かが記念として建つのでしょうか? |
浅川兄弟のお家があったとされる場所から記念碑のある場所へ歩いていきます。 |
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これがその記念碑です。 高根町は平成3年3月に、記念碑「浅川伯教・巧兄弟生誕の地」の記念碑を建立した。五町田農村公園の入り口にあり、生家の北側に位置する。これを機に、多くの町民が、浅川兄弟の存在を知るようになった。 浅川伯教たちが韓国に渡ったのは大正2年(1913年)の事、今からほぼ一世紀近くも昔の話です。記念碑は浅川兄弟を偲ぶよすがになっています。 |
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余談ですが・・、手前に一本の曲がった棒を持った人にお気付きでしょうか? 棒の左側は歩こう会の男性です。右の、棒を持っている女性は今回初めて参加された方です。メンバーの○○さんが、歩くスピードに着いていくのが大変なこの女性のために考え出したリード棒です。一寸した心配りに嬉しくなって写真に納めました。心優しい○○さんに拍手!この女性は「又参加したい」と言ってくれました、甲府から参加した方です。 |
お忙しいところ私達のために説明に来てくださった「浅川伯教・巧兄弟を偲ぶ会」の方で清水さんです。30分ほどでしたが熱のこもった説明にみんな聞き入っていました。 |
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ここには浅川兄弟のご先祖様のお墓があり、それぞれの説明をしているところです。 清水さんから浅川兄弟に関する資料を頂きました、この資料を参考にして今回は書かせて貰いました。 「浅川伯教・巧兄弟を偲ぶ会」事務局・高根町役場企画財政課 |
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立派な墓誌がたてられていました。 浅川伯教(のりたか) 朝鮮古陶磁の神様、朝鮮の陶磁器に魅せられ、その美の研究を重ね、世界に紹介した功労者。 浅川巧(たくみ) 環境保全と国際親善の先駆者 |
浅川家のお墓にはクリスチャンとして「†」が刻まれていました。浅川兄弟の両親は子供のいない浅川家に2人養子(夫婦で養子)となった。 |
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2人の父親のお墓です。(父 如策31歳) 浅川伯教7歳、巧は母親のお腹の仲でまだ生まれていない。(母親のけいは八ヶ岳神社の神官で、医師でもあった千野真道の娘だった。真道は短歌を詠み、生け花をし、茶道もたしなむ風流人で、おまけに野山を散策するのが好きで植物にも関心が深かった。如策と、けいが結ばれたのは如策の父親小尾伝右衛門と、けいの父親の真藤が歌仲間であったからと言われている。) |
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早くに父を亡くした浅川一家はその後どうやって生計を立てていったのだろう。如策の父である小尾伝右衛門が孫の2人の面倒を見たのでしょう。母親のけいも一生懸命に生活をやりくりして子供を育てたと思います。 |