「八ヶ岳歩こう会」「八ヶ岳自然クラブ」のメンバーです。 |
2001年12月12日「北山野道」志麻の里編 |
|
甲府には歴史と自然の息づく「北山野道」と名づけられた素敵な道があります。山すその文化を訪れ勉強をしたと思います。コースは4つ有りますが本日その中の一つ、「志麻の里」を歩きます。他には「表門の里」・「板垣の里」・「小松の里」が有ります。駐車場→塩澤寺→松元寺→湯村山→法泉寺→万寿森古墳→羽黒大宮神社→龍源寺→青松院→加牟那塚古墳→駐車場→帰宅 |
|
いっしょに歩いて下さったKさんの駐車場に車を置かせていただいて歩き始めました。最初に寄ったのは「塩澤寺」です。厄除け地蔵で有名です。天歴9年(955)に空也上人によって開かれたと伝えられ、文化財がたくさん残されています。国指定の地蔵堂・県指定の石造地蔵菩薩坐像・無縫塔・板碑・舞鶴の松などがあり、その他指定されてはいませんが、首うき地蔵・ユーモラスな顔をした大石仏も境内にあります。境内から湯村山遊歩道に行く途中に「こうもり塚」と呼ばれる古墳が2基あります。 ここから湯村山に行く道があったようなのですが分からなくて一度下りまして、別の場所から登り道を探しました。 舞鶴の松は本当に立派な松で写真に撮ろうとしましたが羽のように伸びており、とても写真に収まりそうもないので諦めました。上の写真をご覧下さい。少しその松が写っています。 ユーモラスなお顔の大石仏は何をお考えになっているのでしょう? |
|
塩澤寺の場所から南アルプスが良く見えました。甲府の町も眼下です。 | |
松元寺です。北山筋の観音霊場巡りの第1番目で、本尊の観音菩薩は、古くから身代わり観音として有名です。 | |
湯村山に登り始めましたら、やっぱり塩澤寺からの登り道が有ったようです。これは次回の宿題。 | |
地元の方が散歩がてらに良く来られる場所のようです。ここを登れば頂上! | |
東屋でお弁当を食べました。時々地元の方が通ります。皆さん挨拶をして下さいますが、ちょっと恥ずかしかった。一休み後、次は下ります。 | |
下る途中には古墳がありました。この古墳は今から1300年ほど前に造られたお墓です。普通の古墳は土を盛り上げて築かれているのに対して、礫を積み上げて造っているところから「積石塚」と呼ばれています。 | |
法泉寺です。南北朝時代の初期に、武田信武によって建てられたこの寺は、武田氏歴代の保護が厚く、晴信に至って甲府五山の1つに定められています。甲府五山は武田氏領国内の宗教的中心をなす寺院ですが、武田氏館跡を守る砦の役目も果たしていたと言われています。境内には、本堂や庫裏など、江戸時代の建物が多く残されており、西方の一画には信武の墓と勝頼の歯髪塚が並んでいます。歯髪塚は、法泉寺の快岳宗悦和尚が、京都妙心寺で行われた勝頼の葬儀に参列し、歯髪の一部をもらいうけて、境内に埋葬したものと伝えられています。 境内にはいくつかの石仏が有りました。写真が収まりきれなくなるのでここでは載せませんでした。 12月にサクラと思われる花を見つけました。そういえば2000年の歩こう会で11/28に甲斐七福神ウォークで妙要寺に10月桜が咲いていましたね。気候が北巨摩と甲府では違いますから、ひょっとしてこれも同じ種類なんでしょうか? |
|
天然記念物・寿のフジです。咲いている頃に来たら見事なんでしょうね? | |
万寿森古墳です。本当にお饅頭みたいですね。 | |
次に向かうのは羽黒大宮神社です。 | |
羽黒大宮神社です。羽黒の産土神で、古くは山宮の大宮神社から移されたと伝えられています。境内には大きな石が多く、神の降臨する磐座ではないかと考えられています。 | |
竜源寺です。古くは、羽黒山頂のお天狗さん前に祠があり、観音像が奉られていましたが、飯田河原の合戦(1521年) ごろ荒れてしまい、元禄年間に現在地の弘法堂の脇に建立されたのが、当寺の初めです。 | |
青松院です。木造で藁葺きの楼門と、広い境内、本堂が目につきます。県指定の十一面観音像は、片山の領土の観音堂から移したと伝えられ、十六世紀に建てられたと言われています。本堂前の石造の合羽地蔵は、非常にユーモラスな顔をしています。 合羽地蔵は本堂が修復中のためか仕切がしてありました。裏庭に仕切がしてあり写真が上手く撮れませんでしたが素敵な庭園がありましたよ。 |
|
こちらのお寺では保育園が有るのかも知れませんね。お子さんのペットと思われるカモが二羽泥んこの中に嘴を入れて何かを探しているようでした。人間をちっとも怖がらないのです。 | |
私達がジッと見ていたからか、何か、言い足そうにこちらを見ていましたよ!「今日はみんなで何処に行ってきたの?師走で忙しいときなのに、皆さんは良いご身分ですね。」ははは・・忙しいときに時間を作って遊ぶ快感はたまりません。人生愉しまなくては! | |
加牟那塚古墳です。金塚、あるいは釜塚とも記され、高さ7メートルあまり、直径40メートルの大きさは、東日本でも規模の大きなもので、県文化財に指定されています。石室は、横穴式石室で、人間がゆうゆうと歩ける高さと広さがあり、入口から中を見ることが出来ます。 | |
志麻の里ですが全部は無理でした。次回の機会に! |
|
||
▲▲きママなウォーキングへ戻る |