「八ヶ岳歩こう会」「八ヶ岳自然クラブ」のメンバーです。
タイトル
甲州街道14徒歩にて全コース下見の下見
 
2008年11月26日(水)晴れ 八ヶ岳歩こう会
蔦木宿にて 現存している旧甲州街道
信濃境駅→蔦木宿→机→瀬沢→とちの木→原の茶屋→神戸→青柳駅
歩き出しは、信濃境駅からです。蔦木宿までの道は、何通りもあるのですが甲州街道13でも歩く上蔦木信号から信濃境駅が一番距離が短いので甲州街道14でも同じ道を使うことにしました。
約3キロの道のりを下っていきます。
南アルプスが全面に見えてコンクリの道も気になりません。何しろ私達は足に優しい土の道を歩くことが多い。私、舗装道路は余り好きではありません。何時も恵まれている道を歩いているYWAのみなさん、今では舗装道路も強くなりました。今年の1月から甲州街道を歩いてきたのですから。
途中、神社の鳥居が目に入ったので寄り道をしたら銀杏がいっぱい落ちていたんです。手がかぶれるのでビニールを手袋代わりにして拾ってお土産に。
蔦木宿の家並みが見えてきましたよ。
上蔦木の信号に向かいます。
上蔦木の信号から道の駅に向かうところです。検討の結果、本番ではコースに無駄が判明。一部コースを修正することにしました。道の駅から釜無川沿いを岩田屋建材店に向かって歩くことになりました。
道の駅でしばらく休憩です。
現在地を確認!
旧甲州街道を歩きます。
富士見町指定史跡
日蓮上人の高座石があります。
(文永十一年(1274)三月、流罪を赦された日蓮上人は佐渡から鎌倉へ帰ったが、その後、甲斐国河内の豪族波木井氏の庇護を受けて身延に草庵をつくることになった。その合間に、上人は甲斐の逸見筋から武川筋の村々を巡錫した。下蔦木(当時は甲斐領・蘿木郷)に立ち寄ったのはこの時である。伝承によると、当時、村には悪疫が流行し村人が難渋していたので、上人は三日三晩この岩上に立って説法とともに加持祈祷を行い、霊験をあらわしたという。その高徳に村人はことごとく帰依し、真言宗の寺であった真福寺の住職も感応して名を日誘と改め、日蓮宗に改宗したといわれる。また、このとき上人が地に挿して置いた杖から蔦の芽が生えて岩を覆うようになったとも伝えられる。その後、日誘はこの高座石の傍らにお堂(後に敬冠院と呼ばれた)を建てて上人をまつり、近郷への布教につとめたという。)
真福寺
(日蓮に感応し改宗した住職の寺)
NHKの街道てくてく旅でテッシーこと勅使川原郁恵さんが田植えをした場所はこの近くです。本日一緒に歩いたIさんは、台ヶ原の七賢で勅使川原郁恵さんにお会いしてサインを歩こう会のブルゾンにして頂きました。
蔦木宿跡は昔の雰囲気が残っています。
上蔦木の家には屋号を印した表札がかけられています。その一部を紹介
藤屋 つち屋 和泉屋
むさし屋 提灯屋 萬屋
恵比寿屋 白土屋 木地屋
蔦木宿を歩き、国道20号線を少し歩きます。
東京から176キロです。ずいぶん歩いてきましたね。この先、左折して農道を歩きます。
国道20号線に眼をやると、古い民家の左に平岡一里塚が見えます。一里塚には、「日本橋から46里」と記されています。
明治天皇巡行御野立所…明治13年6月、山梨・長野・三重・京都などの府県の民情視察の為、明治天皇の巡幸が行われた。巡行の行列は、6月23日の朝、台ヶ原(白州町)を出発し、国界橋を経て当地に入った。午前10時に蔦木本陣に到着、しばし休息ののち平岡の御野立所に向かった。当日、沿道の家々では日の丸を掲げ、小学校児童を始め近郊近在の拝観者が沿道に連なって御巡幸を迎えた。行列は,400人余り及ぶ数であった。御野立所の位置は、あらかじめ宮内省より街道筋の柳の大樹のある草地を指定されていた。地元ではそこに白砂を盛って菊家紋のついた紫の幔幕を張り巡らし、白木の机と椅子を備えて玉座とした。すべて村人の奉仕によるもので、御巡幸を迎えるにあたっての苦労はなみなみならぬものがあった。この日、天皇は金色燦然たる大元帥の礼服を着用され、御手ずから小さな箱を携えられて玉座につかれたそうである。そしてここまでは2頭立ての馬車で来られたが、行き先の瀬沢坂・とちの木坂が難路のため、4人担ぎの板輿にお乗り換えになった。それから巡行の行列は徒歩で次の休息地の原の茶屋へ向かって出発したが、玉座跡の白砂は人々がお守りに持ち帰ったという。この巡行の直後、地元では御野立の栄誉を記念として残そうと、平岡村が中心となって御座所の位置に鸞躅碑(らんたくひ)をつく左右にも行幸を讃える歌碑を建てた。その後、明治17年の釜無川の氾濫によって3基の石碑は流失し、村中総掛かりでやっと探し出したが、台石はついに発見できなかったという。碑はいったん村中へ建てておいたが昭和9年に再び現在地に復元した。(富士見教育委員会)

この先に机の信号があります。その信号を右折して瀬沢信号に向かいます。
机の信号から瀬沢信号の間に「奇石かぐら石」があるとのこと。車で下見をしたときに見つかりませんでしたので地元の方にお聞きしました。一本下に道があるのですが、そこの岩場にありました。明治天皇もご覧になったようです。字の薄くなった看板がありました。本当はこの道が旧道なのかも知れませんね?この場所は地元の方にお聞きしないと見つけられないことでしょう。本番では寄らないことにしました。
瀬沢信号の横断歩道を二回渡ります。直進してから左折、橋を渡り終えたら左折です。信号、歩道がありますので安全に歩けます。
瀬沢集落も昔懐かしい家並みが点在している集落です。吉見屋さんのお隣は諏訪神社です。
手にしているのは参考資料にしている「パパな歩く甲州街道」の蔦木宿〜金沢宿までのガイドが書いてあるコピーです。後ろの山は八ヶ岳、国道20号線が見えますか?八ヶ岳の下に白いガードレールが道です。八ヶ岳の丁度下あたりでしょうか?国道脇になりますが、瀬沢の古戦場跡の碑があります。(天文11年2月、北から信玄を攻めようとした小笠原・諏訪・木曽・村上の4将は、動きを察知した信玄に奇襲され敗走しました。)
八ヶ岳の雄姿が見えて気分は最高です。
富士見公園に到着です。(明治44年、アララギ派の歌人伊藤左千夫、島木赤彦がこの辺りの風景に感激して公園を造った。白樺派の作家達の記念碑があります。)
お昼をここ、富士見公園で考えていましたが、時間が遅くなってしまうため手前で食べることにしました。お昼は、きちんとした場所で頂きたいです。おトイレも当然必要です。このコースにはトイレが少ないのが悩みだったのです。公共の施設ではありませんが交渉してお借りできることになりました。
原の茶屋跡です。ここにも昔懐かしい家並みが残っています。(とちの木村と御射山神戸(みさやまごうど)村の間は距離が長く人家も無く、旅をするのに不便であったため、明和9年(1772)頃に松目新田の(名取)与兵衛が向原に出て茶屋を始めた。その後ここを中心にして次第に人家が増えて周囲の村と紛争が起きたので高島藩が40間四方の築地を築かせその中で茶屋を営ませた。現在、集落の出口辺りに古い家が2軒向かい合って建っている。屋根には珍しいスズメオドリ(屋根の棟飾りの一種)を見ることが出来ます。集落の外れには、ほんの少しですが旧甲州街道の道が残っていますよ。

原の茶屋跡から少しあるいた場所に「カゴメ富士見工場」があります。春には桜が咲いて見事だそうです。本番の時にはお花見ウォークになりそうです。とても楽しみです。
里山歩きは、こんな素敵な風景を見ながら歩けるので大好きです。
途中から国道20号線を歩いて神戸八幡を通過、右にガソリンスタンドが見えたら左折
樹齢300年以上の見事な欅の大木は、御射山神戸(みさやまごうど)の一里塚です。
今日は、本当に八ヶ岳が綺麗でした。思わず足を止めて眺めてしまいました。
御射山神戸(みさやまごうど)の一里塚から青柳駅まで約30分です。
今日は、下見に下見で寄り道をしていたからでしょうか?予定していた15:29分の列車に急がないと間に合いそうもありません。早歩きから駆け足になってきました。
ここの角を右折すると正面に陸橋があります。その陸橋を渡り、階段を下ればゴールの青柳駅です。
乗車予定の15:29に間に合いました。今日は信濃境駅に車を置いてありましたので青柳駅から信濃境駅まで乗車、列車代金は190円、もう一人は長坂駅からでしたから400円に。本番は人数も多いのでこの後の列車にしました。到着予定を16:00にさせて頂きます。まだ訂正箇所が見つかると思いますので再度下見を行う予定です。本日は、サブリーダの皆さんと一緒に歩きました。
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