イラスト 「八ヶ岳歩こう会」「八ヶ岳自然クラブ」のメンバーです。
タイトル
我が町ウォーク 徳島堰(南アルプス市)と将棋頭(韮崎市) 2003年4月22日 その1
竜岡将棋頭(S62発掘) 第二将棋頭 御勅使工業団地の前で集合写真
将棋頭とは、その名の通り将棋の駒の形をした堤防で、六科(むじな)「現在の南アルプス市八田村?」の西方に築かれた第一将棋頭と、韮崎市竜岡町下条南割地内の第二将棋頭が確認されています。まず、第一将棋頭によって本流は二分される。水量の少ない方を南流とし、水量の多い北流を新本流としたようです。この新本流の下流に第二将棋頭が築かれました。韮崎市に属している第二将棋頭は、第一将棋頭によって分流された新本流の水勢をさらに弱める働きをもっている。規模は第一将棋頭よりも小さいですが比較的整った形で残存。現在、この第二将棋頭は、御勅使工業団地の裏手にありました。竜岡将棋頭(S62発掘)です。 「信玄堤」は釜無川、御勅使川の洪水を防ぐために戦国時代に武田信玄の命によりつくられたといわれます。また「信玄堤」の他にもいろいろな施設で釜無川、御勅使川の洪水を防いでいます。特に御勅使川の周辺には水の流れを高岩へ導くため、上流から石積み出し、将棋頭、堀切等の施設が置かれていました。この「竜岡将棋頭」は、南に配置された「白根将棋頭」と合わせて、御勅使川の洪水の流れを押さえて、下流の「堀切」へ導く効果があったと考えられます。信玄堤は、戦国時代から明治のはじめまで約400年近く地域の人々によって維持されましたが、明治になって山間部が荒れ、洪水時に川が出す土砂が増えたため、この将棋頭も含めて付近一帯は土砂に埋没し将棋頭は機能しなくなりました。
信玄公史蹟 石積出 一番堤 記念写真(13名) 駒場浄水場の中、 五番堤でお昼

本日のコースリーダーUさん、八ヶ岳歩こう会の副会長でウォーキング指導員の資格を持っています。今日はどんなコースを案内して下さるのでしょうね、ワクワクしながら説明を待つ私達。約15キロウォーク
建物が見えますか?御勅使工業団地です。この土手の裏側に竜岡将棋頭があります。
竜岡将棋頭、西に向かい水田の区割りが将棋の圭角をしている。第一将棋頭とは異なり、両辺が同じ角度で、川の上流に向いています。1987(S62)年の発掘調査で、河原の自然たい積層の表面に石を張り付けた構造であることが分かりました。
竜岡将棋頭から御勅使川の遊歩道に戻ります。
数日前に雨が降ったので川の水は濁っています。いつもは透明で澄んだ水のようです。
遊歩道の隙間から八ヶ岳が見えました。何故か嬉しくなって写真を撮ってしまった私です。
遊歩道から車の多い歩道を歩きます。少し先の公園で休憩するためです。
御勅使川の反対側には果樹園が続いています。次の目的地は「3番堤」です。石積出しの写真は次のページにあります。
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