「八ヶ岳歩こう会」「八ヶ岳自然クラブ」のメンバーです。
タイトル
旧甲州街道と原の茶屋跡を巡る(里山歩き) 2005年11月1日(火)快晴 八ヶ岳歩こう会
参加者集合写真22名(富士見公園)
八ヶ岳歩こう会の例会が本日行われました。お天気に恵まれ、遅れていた紅葉も見頃になっており、八ヶ岳の雄姿を見ながらウォーキングを楽しんできました。朝方は薄氷がはって今年一番の寒さかと着込んで出掛けましたが、日中はお日様がポカポカ暖かく、富士見公園での昼食時には日だまりでお弁当を食べ、午後コースでは、畑の持ち主さんからパセリのプレゼントがあり、最後には、白林荘のお庭に入らせて頂き、紅葉を楽しみました。ストレッチもこちらの庭を拝借して紅葉を見ながらのストレッチ体操は最高でしたよ。参加して下さった皆様、有り難うございました。
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甲州街道は、江戸日本橋を起点とする江戸時代五街道の一つ。江戸内藤新宿から甲州石和まで表街道三八駅と甲府から下諏訪までの裏街道六駅で、下諏訪宿で中山道と合流し、全行程五三里十町余(320km)です。甲州街道は、今の国道20号線。JR中央本線・中央自動車道が併走する。甲州街道は、他の四街道に比べ当初は、道筋の整備がなされていなかったという。しかし約120年後、幕府の直轄地である甲府に甲州金の金座が置かれ、貨幣の鋳造が行われるようになると、街道は経済上、軍事上、重要な交通路となった。
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八ヶ岳は、見る場所によって形が変わる。富士見町の中でも移動すると・・・・
小淵沢に近い富士見町葛窪地区から見える八ヶ岳の雄姿
御射山神戸〜原の茶屋跡に向かう途中からの八ヶ岳
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すずらんの里駅(10:00出発)→神戸八幡社(ストレッチ体操)→神戸一里塚(10:40頃)→原の茶屋跡(12:00頃)→富士見公園(昼食)→塚平の一里塚(13:30頃)→とちの木風除林→とちの木集落→横吹方面→山林→とちの木集落→富士見公園→白林荘(庭の紅葉見学・ストレッチ体操)→富士見峠信号→秋葉神社→富士見駅
今日は、私がコースリーダーです。歩き出しは、「すずらんの里駅」、ゴールは、「富士見駅」です。家を早めに出て富士見駅へ 駅前駐車場に車を置いて列車に乗りました。いつもは集合時間ギリギリな私ですが、今日はそうは参りません。一本速い列車に乗車。何時も車ばかり乗っていますので、列車が新鮮に感じました。(笑)
「すずらんの里駅」は、国鉄時代の1985年に鉄道の有効利用を目的に設置費用を負担して出来た駅。長野県諏訪郡富士見町にある東日本旅客鉄道(JR東日本)中央本線の駅。同駅の近隣に事業所を持つセイコーエプソン株式会社が、鉄道の有効利用を目的に設置を希望し、設置費用を負担してできた駅だそうです。同駅より1kmのところに富士見事業所があり、同2kmのところに諏訪南事業所がある。
ホームが高台にあるので御射山神戸の集落が良く見渡せます。
御射山神戸(みさやまごうど) 御射山とは、御狩野や競技場を指し、神戸とは、神様のお膝元、口元、とでも言う意味でしょうか?諏訪大社の社領であった原山の上社奥社である御射山で祭事賦役に古くから奉仕してきた人達の集落。そのエリアが今は御射山神戸と複合的な地名で呼ばれている。江戸時代には甲州街道の蔦木宿と金沢宿の合いの宿として発達したが、現在国道20号となった旧甲州街道に昔の面影が残っています。
参加者の皆さんにお渡しした本日の資料です。「御射山神戸の一里塚」から「塚平の一里塚」まで歩いてみませんか?と会員の皆さんにお誘いをしました。一里塚とは藩政時代、江戸日本橋を起点として三十六町を一里(4km)と定め、旅人の道標・休憩所として街道筋の一里毎に直径約10mほどの塚(小山)をつくり、塚の上には木を植えるなどして配置されたものだそうです。
駅から5分ほど歩いた場所に神戸八幡神社(ごうどはちまんじんじゃ)があります。現在の建物は宝暦2年の建立。神戸八幡社の欅は、推定年齢390年、富士見町指定天然記念物。紅葉した欅の下で歩き出し前のストレッチ体操をTさんにお願いしました。
今日はお天気に恵まれて八ヶ岳も良く見えます。今日のコースは、八ヶ岳の広〜い裾野を飽きるほど眺めることが出来るコース。だから特に、お天気は気になっていたんです。今日の晴天は、晴れ男、晴れ女の参加者が多いからかも?雨でも歩きますが、これからも例会の時は、晴れて欲しいですね。
御射山神戸(みさやまごうど)の一里塚に到着です。こちらには、樹齢300年以上の見事な欅の大木があります。
我が歩こう会の仲間はノリが良いので有名?です。何人で一回り出来るのか?やってみました。手を繋いたところ8人、八ヶ岳歩こう会のウォーキングには遊び心があって参加すると楽しい。
八ヶ岳の広〜い裾野・・・
「原の茶屋跡」です。今日は、中に入りません。昔の面影が残る建物を外からご覧頂きながら通過しました。とちの木村と御射山神戸(みさやまごうど)村の間は距離が長く人家も無く、旅をするのに不便であったため、明和9年(1772)頃に松目新田の(名取)与兵衛が向原に出て茶屋を始めた。その後ここを中心にして次第に人家が増えて周囲の村と紛争が起きたので高島藩が40間四方の築地を築かせその中で茶屋を営ませた。屋根には珍しいスズメオドリ(屋根の棟飾りの一種)
ウォーキングに参加して楽しみの一つといえば、お弁当の時間かな?富士見公園で昼食です。日だまりで輪になって食べました。あちこちから色んな差し入れが回ってきて嬉しい悲鳴です。皆さん、ご馳走様でした。
昼食風景です。ねぇ〜、楽しそうでしょう。

「富士見公園」…明治44年、アララギ派の歌人伊藤左千夫、島木赤彦がこの辺りの風景に感激して公園を造った。白樺派の作家達の記念碑がある。
頂き物が多くて自分が持っていったお弁当が残る。残ったお弁当は?夕食にチャンと食べますのでご心配なく。(笑)
富士見公園から「塚平の一里塚」へ  

「塚平の一里塚」…旧甲州街道の途中にこんもりとした塚が見える。塚平には片側の塚だけですが残っています。
「塚平の一里塚」〜「とちの木風除林」

「とちの木風除林」…強風で作物が実らないため、とちの木の村が高島藩に願い出て作ったのがこの風除林で、寛政年間(1789〜1800)に植えられたもの。樹齢およそ200年のアカマツが街道の左右に49本残っている。
下る途中、雪で白くなった富士山が顔を出してくれました。
富士見町の横吹地区から原の茶屋地区に戻ります。小高い山の道を登ると・・・
里山風景が広がっています。八ヶ岳を背にして進みます。手前の畑が何だか分かりますか?パセリなんですよ。畑には老夫婦が手入れをしていました。そしてパセリを自由に取っても良いと言ってくれました。嬉しいですね。
急遽、パセリ狩りが行われ、リュックからビニール袋を出してお土産に!素敵なプレゼントに参加者は大喜びでした。(写真提供、T氏)
そして・・・里山を歩いて白林荘に向かいました。気になっていた紅葉ですが昨年より遅く、色もイマイチのようような気がしましたが、参加者の皆さんが喜んで下さったので一安心!下の写真が紅葉したお庭の写真です。
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「白林荘」…大正13年に犬養木堂が余生を富士見で過ごそうと建てた別荘。富士見高原をこよなく愛し、特に愛着の強かった白樺を中心に荘内には数多くの木々が養成された。「白林荘」の名前は白樺に由来する。一万坪の手入れの行き届いた荘内は新緑、紅葉が美しい。

「犬養毅」…犬養毅は、号を木堂(もくどう)と称し、明治中期から昭和初期にかけて政党政治の確立に貢献した、清廉潔白な非常にすぐれた政治家であった。昭和6年(1931年)12月、76歳のとき第29代の首相となり、満州事変の解決にあたったが、翌年5月15日、有名な「話せばわかる」という言葉を残し、首相官邸において海軍青年将校の凶弾に倒れた。(いわゆる5・15事件)、書にもすぐれ、中国の政治家との親交も深く、情に厚い政治家としても知られている。
〜白林荘の紅葉〜
お屋敷の中の庭も建物も手入れがしてあり、ガラスはピカピカ!紅葉が映る窓ガラス!
お屋敷の玄関かな? 手入れの行き届いたお庭
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色とりどりの落ち葉 (写真提供、T氏)
落ち葉のジュータン 
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